A Lifestyle of Trust – Bill Johnson

同時通訳:相馬伸子

ヨハネ11章、ヨハネ1:7、
「信頼する」事と、「信じる事」として「信仰」の繋がり。
ヨハネ1:7ではバプテスマのヨハネが「全ての人が彼によって、信じる為」とあり、同じヨハネの福音書の20:31では「あなたがたが信じる為、あなた方が信じて」とあります。
私は普段、あまり「信じる」という言葉を使いません、メッセージの時には、「信仰」という言葉を使います、なぜなら信仰という言葉は「具体的」であるからです。
「信頼する事」は、神の絶対的な良さ、誠実さを知ることから、全ての事を委ねて、神の御手の中に飛び込むようなことです。神の本質、ご性質を体験することで、生まれるものです。

「遅れてくる祈りの答え」は神からの罰ではなく、かえって、人格が練られる事と、多くの栄光の為だということを覚えていますか?
ヨハネ11章で、イエスのところにベタニヤのマルタ、マリヤが遣いをだし、「あなたの愛するラザロが病気です」と伝えにきます。イエス様の素晴らしさは、彼が繋がる人々は皆、自分がイエスにとても愛されていると思うように人々を取り扱う事です。ヨハネも「主に愛される弟子」と自称しています。

イエスはラザロのことを聞いた時に、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受ける為です」と2日留まり、それからベタニヤに向かいます。
イエスは、まず先に「預言」したのです。
25節、26節でも「信じるなら、信じるものは」と言っています。
40節では、「もし、あなたが信じるなら、神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」と言いますが、「信じる」事とは、「神が完全に信頼するに値する方であり、誠実さや本質を
体験し、見て、味わった者」から出るのです。信じることは、頭の中で、知識に対してそうだ、と同意するという事ではありません。

ラザロが甦ってから死者を埋葬するときの「布」を「解いてやって、帰しなさい」とイエスは言われます。
死者の布は、私たちの古い人のようです。私達は新生した時に「新しく造られた者」になりました。その「古い人」はもはや 新しくなった信者のアイデンティティではないのです。
新しく生まれた、ベイビークリスチャンには、このような布を取り去ってくれる人が必要です。

日本語音声:

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4737/a-lifestyle-of-trust-sunday-pm/2017/05/14