私たち、呼び出された者、エクレシア、教会は、神様の愛に留まり、満たされ、また、その愛を周りの人々に流し出します。
私たちは、ただで受けたのだから、ただで与えます。(マタイ 10:8)
人に仕えられるためではなく、仕えるためにイエス様に遣わされています。
うちに住んでおられる聖霊様は、私たちの行動、態度、言葉を通して、愛、喜び、平和を人々に届けてくださいます。

皆さんは、「愛の言語」という話を聞いたことがありますか?
普通は、夫婦関係、家族関係についての教えですが、本当は、どんな人間関係にも、会社の関係の人、近所の人にも、役に立つ話だと思います。

愛の言語です:
人の愛の表現の仕方には、大きく分けて5種類あるという考え方です。これは逆に、受け身的に考えて、5つの方法で、自分は愛されていると感じることができる、と言い替えることもできます。これを愛の5言語と言います。みんなそれぞれ愛を表現する際に、その5言語のうちのどれかを主に使って、愛を表現するわけです。その5言語は以下です:

1. 言葉:言葉をもって愛を表現することです。「I love you!」、「愛しているよ。」という照れ臭い言葉を使わなくても、言葉を通して相手のことを大事にしているメッセージを伝えること。今日はこのことについて後で考えましょう。

2. 奉仕:何かしてあげること、相手に仕えることです。
日本人は得意ですね!でも、人に褒められるためではなく、人に見られない時でも、見返りがないのに仕えることは時に難しいですね。

3. プレゼント:贈り物、何かを与えることを通して愛を表現することです。
これも、日本人は得意です。誰かの家に招待されたら、手ぶらで行く人はまずいないですよね?結婚式、お葬式、入学祝い、出産祝いなど、お金や贈り物を持ってお祝いや感謝の気持ちを伝える機会が日本にはたくさんあります。

芸術の賜物を頂いている人、絵を描いたり、写真を撮るのが得意な人。お習字や物作りが好きな人。時には買った物の代わりに、神様に祈って、預言的にインスピレーションを頂いて、絵を描いてそれをハガキにしたり、アクセサリーを作って人にプレゼントとしてみてはどうでしょうか?どうぞ、あふれんばかりの賜物を私たちに与えてくださる神様に、クリエイティブに愛を伝えれる方法を聞いてみてください。

4. 時間:共に時間を過ごすことです。
これは、忙しい毎日の中、難しいことですね。しかし、誰かのためにわざわざ時間を割いて、その人と時間を過す時に、本当に愛が伝わります。携帯電話を横に置いて、目の前にいるその人だけに集中して話を聞き、時間を共有する時、その人を大切にしている思いが伝わります。でも、逆に待ち合わせの時間に遅れたり、約束をドタキャンしたり、忙しい家事の合間に語りかけてくる子供の話を中途半端に聞き流したりすると、相手には愛は伝わりませんね。

5. スキンシップ、体のふれあいによって愛を伝えることです。
挨拶がわりにほっぺにキスしたり、男同士でも抱き合ったりする西洋人に比べて、日本人は体のふれあいが、習慣的に苦手な人も多いかもしれません。
タッチ、触れ合うこと、スキンシップは、適切でないと、性的な意味に取られたり、怪しく見られる可能性があります。でも、心理学的にもこの愛の言語の重要性が証明されています:

バークレー大学の心理学教授が言っています:
「私たちの手は、思いやりの主な言語であり、思いやりを広めるための主要な器です。
近年の研究は、触覚、触ることから来るいくつかの信じられないほどの感情的、および肉体的健康上の利点を証明しています。
スキンシップ、体のふれあいがコミュニケーション、絆を結びあうこと、健康にとって本当に欠かせないことを示唆しています。」

凄いですね。
私たちは、愛をこの手を通して伝えることができます。
もちろん、男女の場合、主に家族、親子、夫婦以外は、気をつけないといけませんが、男同士、女同士、適切なスキンシップを通して、愛が伝わることを覚えましょう。(また、いつかこのスキンシップのことをもっと深く見てみましょう!)

愛の言語の大切な原則は、これです。
人は、自分の愛の言語は知っていても、多くの場合、愛を伝えるべき相手の愛の言語をわかっていないことがあります。
一生懸命自分の言語で、相手に愛を伝えようとしても、相手が違う言語を「話す」なら、愛が伝わらないのです。
例えば、ある人の愛の言語が「奉仕」、仕えることです。
私の愛の言語は「言葉」なので、言葉によって、愛を伝えようとします。しかし、その人は、言葉で伝えられるよりも、何かをしてくれることによって、愛を感じます。だから、私の語りかける言葉は、逆に虚しいかもしれない。行動で表してほしい!と思っているかもしれません。
ヨハネがこのことを説明してくれています:「私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」1ヨハネ 3:18

別の人の愛の言語は、「時間」です。私が一生懸命仕えることによって、愛を表現しようとしても、もしかしたら、その人には、愛が伝わりません。ただ、時間をとって、座って、一緒に話したいだけです。
どうぞ、自分の愛の言語、夫婦の場合、相手の愛の言語、子供、友人などの相手の言語を聞いてみてください。

なぜなら、私たちが、この五つの愛の言語を通して、神様の愛を人に伝えることができるからです。
言葉、奉仕、プレゼント、時間、そしてスキンシップ。
人に仕えること、行動を通して神様の愛を伝えること。
時間を過ごしてあげること、小さいことでも、手作りのプレゼントを渡すことによって、または、適切なスキンシップによって、愛を伝えることができます。後で、自分の家族、仲間と一緒にぜひディスカッションをしてください。

今日は、言葉について考えましょう。
私たちには、皆、素晴らしい賜物が与えられています:言葉です。
イエス様が言葉の力を信じて、私たちにも教えられました:

「どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。」ルカ 10:5

「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」箴言 18:21

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」エペソ 4:29

私たちの言葉には、命があるはずです。
その言葉の力と、神様の御霊による預言の力を合わせたら、最高ですね!

文句ばっかり、悲観的なことばっかりを口にするクリスチャンは、真面目に自分の口から出る一つ一つの言葉を吟味すべきではないでしょうか。
自分も含めて、私たちは時々、自分の口から出る言葉で失敗します。
でも、文句、グチ、悲観的な言葉、悪い言葉をいつも言うクセのある人は、もしかしたら、聖霊様による啓示と癒しが必要だと思います。どうぞ、イエス様と相談してください。

福音は、良い知らせだと覚えてください。
私たちの言葉は、責める言葉、裁きの言葉、人を評価する言葉ではなく、

神様からの希望、望み、平安が与えられる言葉です。
口先だけではなく、心から人を褒めること。
励ましを与えること、認めること、
人の賜物、功績だけではなく、その人の存在を認める言葉。
神様の目を通して人を見て、その視野から自分を見ることができるように、励ます言葉。

多くの人は、批判、比較、拒絶、裁きの環境の中に育てられて、自分の神様にある価値を全然わかっていません。

もしかしたら、あなたは、自分の家族、周りの人、職場、クラスメイトの間に唯一のクリスチャンです。
その場合、あなたは、神様の愛を伝える器として選ばれて、その場に置かれています。
その環境で、素晴らしい責任と特権が与えられているのです!

今回は、どうぞ、相手のことを考えて、愛の言語の話を覚えて、どうやって神様の愛を伝えることができるか、少し話し合いましょう。また、祈りましょう。
また、神様から新しい発想を期待しましょう。
全宇宙を造られた神様は、あなたにも、身近な人に神様の愛を伝えるクリエティブな方法を教えてくださるでしょう!

個人、またはグループの質問:

  • あなた自身の愛の言語は?
  • あなたの身近な人の愛の言語は、わかりますか?
  • 自分の苦手な言語などについて考えましょう。
  • 多くの日本人の苦手な愛の言語:言葉とスキンシップ、どうやってもっと踏み出すことができるか。
イエス様の癒しの力も、手を置くことを通して与えられることを覚えて、適切なスキンシップのやり方を話し合いましょう。

どうぞ、皆さん、今週も、溢れるばかり神様の愛の器となって、その愛が多くの飢え渇いている人に届きますように、遣わして祈ります。