Voice of Life – Danny Silk
同時通訳:相馬伸子

創世記3:9、10;創世記4:5−7
「神様の声」は私達を導き、良い羊飼いの声です。私達が聞き分けることができるし、集中して聞く事がとても大切です。
なぜなら、社会は混乱と恐れや焦りを与えたい声で満ちているからです。それは「空中の君」である悪魔がオーケストラの指揮者のようにはたらいて、違う大陸で起こっている災害や、事件をまるであなたが事件の当事者のように感じるようにしているのです。そして、それはあなたを混乱させ、恐れや焦りを感じさせるためです。
「神様の声」は私達に喜びと平和を与えますが、その声から離れる事、その声を裏切ることもできます

アダムは神様の声を聞いていましたが、エバから実を受け取り、それによって結果ある状況に彼自身を置きました。それは「あなたの声が聞こえたので、恐れて」ということの中です。神の声は恐れを締め出しますが、神の声を締め出してしまうと、何も恐れを追い出すことはできません。

カインも神様が求めていない捧げ物を捧げましたが、受け入れられず、拒絶を感じて不機嫌になり、顔を伏せているところに神様は「あなたが罪をおさめないなら、玄関で罪はあなたを待ち伏せしている」と言いました。私達は罪をおさめるように最初から作られているのです!

私達の前にある「水の流れ」は下水のような汚い流れと天からの命の水です。選択があります。
敵は「訴えるもの」ですが、敵は人類を分類して、互いを恐れるように仕向けているのです。分類していると人から、物のようにその人たちを見てしまいます。人で無くなると、簡単に裁き、罰してしまうのです。でも、人を愛するスイッチを切っていい許可は持っていないのですよ!

私達は自分が知らない人々や、自分が不愉快になる選択によって、「自分の責任」を敵に渡してしまって、無力になるのです。
自分の失敗や、状況を人のせいにすることは欺きに入ることです。