Co-labouring With God – Paul Manwaring JAPANESE

イザヤ61章、2コリント6:1、ヨエル2:17

私が「刑務所で19年過ごした」と聞くと、人々は、彼は長い刑期を務めたと勘違いするのですが、私は19年間、刑務所に勤務していきました。
しかし、その時には教会では、自分の職業、やっていることによって「価値」を受けたように感じません、集会に参加することや献金することであなたには「価値」がある と言われたように受けました。

97%位の人は教会に来ても給料が出ることではなく、学校や、病院や、家庭で働き、仕えています。
しかし、その97%の人たちは「無力になっている軍隊」のようです。
それは、「聖と俗」があり、自分は「フルタイムの献身者」ではないから、自分の価値は低い、認められないと 嘘を信じています。
聖書では聖と俗があるとの教えはありません。
「聖職者」の方が価値があり、霊的であり、優遇されているという嘘で私達は自分達を比べ、低くし、力を捨てています。
「今、すでに神からの使命の中に歩んでいる」ということを信じないと、明日の心配、明日と今日を比べて今日を生きる事ができないのです。

私たちは2コリント6:1であるように「神とともに働く者」なのです。
ですから、これは全部神のはたらき、これは全部私のはたらきということではないのです。

そのような考え方を変える必要があります。
ヨエル書の2:17では「祭壇」と「玄関」の間で泣いてとあります、どういうことでしょうか。
私達は「皆が祭司」とされたのですから、祭壇があり、そこで主に祈り、とりなしをして、「玄関」から出て、世にいって神の国を建て上げるのです。私達は「祭司であり、王」なのです。

イザヤ61から、私がスクールで学んだことは、「心が壊れ、痛み、囚人、捕囚」であった人々は、癒され、解放され、のちに「街を復興し、主の祭司」になるのでした。

あなたがたはすでに、神の使命の中に生きています。自由になりなさい、あなたがたをイザヤ61のメッセージで送り出します。

日本語動画:
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/co-laborers-with-god