Fasting, Angelic and Breakthrough – Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子

ヘブル1:7、14
ダニエル10章

主の天使達については欧米の教会では、あまり話されていません。もしかしたらある人たちが、天使を礼拝したり、天使に命じていたりするからかもしれません。
しかし御使達は、神の作られた被造物です。私は御使を礼拝するのが愚かであると同じに、無視することも愚かであると思います。
ある人は「神の力があるから天使はいらない」と言いますが、私は神様の用いている事柄が必要です。神様は私達を使わずに福音を伝えることができます、しかも素晴らしく上手にです。でも目的のために選んでくれているように、神様の造られた物全てには目的があります。

ヘブル1:14では「救いの相続者となる者達の為に遣わされた」とあるように、私達は救いをうけました、そして「救い」はイエスキリストを信じて、新生した時点で終わるものではなく、「救われ、今も救われ、これからも救われる」となるのですから、私達は天使の助けを受けて、天使達の働いている領域と共に、働けます。
私は天使達に命じるのではなく主の御心に同意し、解き放ち、祈るのです。

ダニエル10章では、ダニエルが神の前にへりくだった時から「祈りは聞かれた」とあり、その答えと天使は送られたが、「ペルシャの国の君」が立ち向かった、とあります。
それは私達が信者になり新生した時から「戦い」のある所に来たということです。霊的な戦いがあるのです。ペルシャの君とは、地域の主権です。妨げがあるということです。
私達のねばりつよい祈りの必要性はこれです。あなたの打ち破りは宣言を、祈りを後一回だけしたらあるのかもしれないのです。

神様と悪魔と間には戦争はありません、悪魔は本当に小さい存在で、神様が本当に消滅させようと思ったら、一秒で煙のように消すことができるのです。
存在するのは、天使の領域での悪魔や悪霊達の間での戦いです。そして、神様は造ったもの全てを、神様の良いとされる事の為に使うことができます。

ダニエル10章でダニエルは「ごちそうも食べず」とありますが、この「ごちそう」という言葉は「好まれる、喜ばれる」という意味で、11節で「神に愛されている人よ」の為に使われている言葉と同じ意味です。ですから「自分の喜ぶこと、愛すること」を脇に置いて、「神に喜ばれる、愛される」者となったのです。
断食は神様を納得させることでも、無理に祈りを答えされることでもありません。神の「好意を」受けることができることだと思うのです。

神の愛は全く変わりませんが、好意は関係によって、増加するものです。好意は買うことではないのですが、犠牲を払うことで得る、与えられるのです。

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4595/fasting-angels-and-breakthrough-sunday-am/2017/03/19
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/fasting-angels-and-breakthrough