Prayer is Training for Ruling and Reigning with God – Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子

ダニエル9:2〜10、ヨブ1:5、ヘブル3章

ある友人が「神様は私達に対して約束は守られますが、その約束が成就する可能性は私達がどう応答するかであり、それに対しては神様は
義理はありません」と言いました。
神様の働き方に対して、良い助けになりました。
その意味は、「神様の約束」に対して、一つは「必ず成就する、神様が定めておられる、信者が信じても、信じなくても神はそれを行う」こと、
もう一つは「神の御心」、約束ではあるが、神様は人に自由意志を与え、その選択によってその御心、願いを実行する、成就されることを選んでいるので
時にはそれは神様の願いどうりにはならない。神様の御心は「すべての人が滅びないで、救われること」ですが、実際は滅びに至っている人々もいるのです。

祈りは「究極的に私達が神様と永遠に納める」ことの地上における練習であり、それは神様と私達がしっかりとエンゲージすること。
繋がり、共に同労者として働くためです。神様は私達抜きで、素晴らしくこの働きをすることは簡単です、しかし、神様は私達を招待して
一緒に働かせてくださるのです。

あなたがご自分や、家族、地域や国に対しての神様の約束、預言のことばを軽く扱ってしまうなら、それはあなたが戦いに入るべきところでの戦いに
不適切、不十分にしてしまいます。ダビデは戦いに出る季節に城に残り、結果罪をおかしました。戦い行く恵がありながら、残ったので彼は恵のない
戦いをして、負けたのです。
祈りや断食は神様の意思を変えること事ができるのではなく、反対に私達の思いや心が神様のものへと変えられるようなのです。
それは準備であり、整えであり、私達が相続地に入り、主の祝福で死なない為です。

英語動画(要登録):http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/prayer-is-training-for-ruling-and-reigning-with-god
英語音声:http://www.bethel.tv/watch/4607/sunday-morning/2017/03/26