前回は、「神様のために働かないで!」のテーマで、「神の業」と「私たちの業」、つまり神様の働きと私たちの働きについて少し話しました。

全てのクリスチャンは、基本的にこの話に賛成しています。
そうです。救いは私たちの働きとは関係なく、キリストが無償で与えてくださったものだと信じています。

この恵みのメッセージの象徴的な御言葉は、エペソ 2:8です。

エペソ 2:8 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」

いいですね!
私たちの「働き」は、信じることだけです。

しかし、ここでは、自分の「信仰」を強調するクリスチャン、特に私たちペンテコステ系、カリスマ系のクリスチャンは、時々信仰を自分の働きとしてしまいます。

信仰の薄い者だ、と信じる人、自分の信仰が足りているのか、足りていないか、といつも心配しているクリスチャン、特に聞いてください。

結局、信仰は、あなたから出るものではありません!
キリストからの贈り物です。

よく聞いたことのある「からし種」の話を、新しい角度から見てみましょう。
弟子たちは、どうしてある子供から悪霊を追い出すことができなかったのかをイエス様に尋ねます。

マタイ 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」

(ルカ 17:5-6には、似た話があります。)

今までこの話を聞いたら、自分の信仰が足りるか足りないことに注目していませんでしたか?

「ああ、私も、信仰が薄い者だ!だって、からし種ほどの信仰があったら、山を動かす力があるはずです!でも、わたしはそれができない。やっぱり、私も信仰が薄い、信仰が足りない者だ。」

しかし、これはイエス様が十字架に行く前の話です。また、聖霊様が私たち皆に与えられる前の話です。
イエス様が言おうとしていることは、違うかもしれません。
もしかしたら、イエス様が言われたのは、
「あなたの信仰は、関係ないです!からし種ほどの信仰さえあれば、山を動かせるよ!でも、あなたがたは、そんな小さい信仰でもないよ。
しかし、大丈夫。私の信仰をあなた方にあげますから!自分の足りるか足りない信仰を頼らないで、私の信仰に頼りなさい。」

もし皆さんが自分の救いのために、キリスト以外の働きを頼るなら、例えば自分に頼れば、あなたは、神様ではなく、自分の信仰に頼っているのです。

「ああ、僕は信仰がある。大丈夫です!」と満足する人でも、あるいは、
「ああ、やばい!僕の信仰が足りない。ダメだ!」と心配する人。
どちらも、自分が中心です。自分の働き、この場合は、自分の信仰に目を留めています。

信仰は、キリストからの贈り物です。私たちの働きではありません。

このことで、あるクリスチャンは、傷ついています。
以前、「あなたの信仰が足りない!あなたの信仰は薄い!」と人に裁かれた人が沢山います。
または、祈りが叶わなかった時に、自分を責めて、信仰が足りないという嘘を信じてしまった人も沢山います。

あなたの信仰が足りないのは、当然です!でも、大丈夫です。信仰が足りない、信仰の薄いあなたは、イエス様と共に十字かで死んで、甦り、今イエス様の中に置かれ、イエス様の信仰があなたの中にあります。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」

この信仰はどういう意味ですか?
自分で信仰を奮い立たせるのではなく、子供のように委ねることですね。

信頼すること。
不信仰を手放すことです。
子供のようになって、素直に神様の言葉に応答すること。
「はい、そうです!」と素直に返事すること。

マリヤが言ったように、

ルカ 1:38 「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」

信仰は、イエス様の信仰です。イエス様から頂いたものです。
聖霊様によって、既にあなたの中に宿っています。

信仰は、「頑張る」姿勢ではなく、「休む」姿勢です。

ヘブル 10:39「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」

信仰の旅は、信頼すること、委ねること、不信仰を手放すこと。

もし、あなたが「自分の信仰は足りない」、「自分の信仰は薄い」という嘘を信じていたならば、今こそイエス様にその嘘を委ねましょう。
また、イエス様の完全な信仰の贈り物を感謝して、頂きましょう。