「イエスは勝利を既に取られた」という素晴らしい賛美歌があります。
これは真理です!
十字架の上で、イエス様が、詩篇22:31節を引用して、「完了した」と宣言されました。
「成し遂げられた」
「すべてが終った」
「救いの業は完了した」
「何もかもなしとげた」
という、様々な日本語の訳があります。
イエス様が引用した詩篇22:31を見ると、訳によって少し違いますが、同じように、
「成し遂げてくださった恵みの御業」
「主のなされた義」
「主がなされたその救い」
「主が私たちのためになさったすべての奇蹟のこと」
ダビデが預言したことばは、イエス様の十字架の上で、成就されました。
十字架の上で、何が完了されましたか?
さばき、
罪のための生贄、
死、
宗教的な束縛、
この世の欲による束縛、
罪、つまり神様の目的から離れた行動とその汚れに対する当然の報い、
呪い、
体の病、精神的な病、心の病、
恐れ、
貧困、
私たちを神様の愛から引き離す一切のもの、
このすべてが終わりました。
戦いは、終わりました。
葛藤はもうありません。
私たちは、圧倒的な勝利者となりました。(ローマ 8:37)
いつか、将来にではなく、今、既に、圧倒的な勝利者です。
ちょっと待ってください!
戦いは終わっているなら、私たちはどうしてまだまだ戦っているでしょう。
私も入れて、皆時々戦っているように感じるよね。
戦いが続いているのはなぜでしょうか?これらの戦いとは何でしょうか?
主に二つの戦いに分けることができます。
信仰の成長のための自然の戦い、と無闇な戦い
成長のための戦いとは、
ローマ12章、自分の思いを変えるために、当然の戦いです。
罪の性質との戦いではなく、
この肉体、肉体のくせ、この肉の欲、自然の欲望と戦って、服従させることですね。
イエス様でも、この戦いをしました。
その例の一つは、十字架の前にイエス様は、「私の心ではなく、御心の通りにしてください。」と祈りました。
つまり、イエス様も、神様の御心以外に、ご自分の心を持っておられました。
イエス様と同じように、私たちの戦いは、自分の心を神様の御心に服従させることですね。
これは、罪との戦いではありません。
これは、自分の思いの一新によることです。
イエス様にあって、実は私たちはもはや罪と戦わなくてもいいです。
罪の戦いは、十字架の上に終わった。完了した。
ローマ 6:11

「自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」

罪との戦いではなく、キリストイエスにあるアイデンティティーと神の義として生きることを、毎日経験するための過程です。
恵を勘違いしないでください!
神様の恵は罪を犯す自由ではなく、罪からの自由です。罪をもはや犯さなくてもいいのです。しかし、もし罪を犯したら、イエス様に向き直して、その罪と罪の結果をイエス様に聖めていただいて、続けて神様の義として成長していきます。
しかし、自分の思いを変えるプロセスは、罪との戦いではなく、肉による思いをイエス様の真理と入れ替える過程です。
この成長のプロセス、過程は、時々「戦い」のように感じる。
小さい子供の成長を考えてください。
大体2歳ごろ、子供は、自分の意思を発見して、お父さんやお母さんと戦うようになります。
自分の意思、お父さんやお母さんに注意されること、
この葛藤の中で、子供が自分の意思を親に服従させることを学ぶべきです。
譲りたくない時は、親との戦いが始まる!
こどもによっては、この2歳の時期の戦いが毎日何回、何十回もあります。
しかし、その子供が大きくなって、20歳、30歳となっても、同じように、お父さんとお母さんと喧嘩するのは、良くないですね。
その子供は、体は大人でも、まだまだ幼い証拠です。
どんな人間関係でもこういうチャレンジがありますが、一番大事なのは、結婚関係ですね。
自分の意思を妥協して、相手に合わせることは、時々大きな戦いです。
しかし、こどもであっても、大人であっても、どんな人間関係であっても、この戦いの戦場はどこですか?
頭の中ですね!
自分の思いにある戦いです。
2コリント 10:4-5は、この戦いについての言葉です。

私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ(ます。)

2コリント 10:4-5
この言葉をよく他の人について考えますが、今日は自分の思いについて考えましょう。
まず、気付いてください。
私たちの戦いの武器には霊的な力があります。
つまり、実際に、思いを変える力があります。
まだ罪の性質のままでは、私たちは無力です。自分の思いを変えることはできない!
ローマ 8:7-8

「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」

できない!不可能。無理。
しかし、自分をイエス様に委ねる時に、イエスと共に死んでよみがえって、御霊によって、いくらでも自分の思いを変える力を得ることができます。
選択する力、選択の権威が与えられます。
本当の悔い改め、向きを直して、自分の思いを変える力を得ます。
悪い思いと嘘を捨てて、神様の真理に生きる力を得ます。
神の御前で、思いの要塞をも破るほどの力
2コリント 10:4-5に書いてあるように:
さまざまの思弁:どんな言い訳でも捨ててもいいです。
神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶり、プライド、自分の力を頼る思い、または、自分の罪をいつも眺めている自己中心の思いを捨てる力。
すべての思い、すべてのはかりごとをとりこにして、キリストの思いに従う力。
これは、聖霊様の働きです。
これは、イエス様にあるすべての人に与えられています。
この力を無視して、悪い思い、嘘を抱き続ければ、無闇な戦いを招きます。
常に罪と戦っていると信じれば、罪との戦いを招きます。
神様の義よりも、自分は罪人だと確信しているなら、この戦いを抱きます。
勝利を感謝して、その中に留まるよりも、常に勝利のために頑張っているなら、無闇な葛藤をしています。
イエス様、イエス様の真理に、自分の思いを服従させるだけでいいです。
心の一新によって、自分の思いを変えて、神様の御心が分かるようになります。
このプロセスは、難しくない、いつもすぐできる、とは言っていません。
イエス様でもこのプロセスを通りました。
私たちも通ります。
だからこそ、イエス様との信仰の歩みのためには、
イエス様に目を留めること、
イエス様の愛に留まること、
イエス様の真理によって自分の思いを変えることは信仰の基礎です。
イエス様の勝利を得るためではなく、既に成し遂げられた勝利を知って、経験するためです。
祈ります。

申命記 20:4 共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」

ヨハネ 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

1ヨハネ 5:4 神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

1コリント 15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。