既にあること、更にもらえること、いただけることについて、しばらく考えていきたいと思います。
多くのクリスチャンは、キリストにあって既にあることを、いつも祈りや自分の努力によって、更に獲得しようとしています。

こういう場面を想像してみてください:
毎朝、奥さんが起きる時に、ご主人に尋ねます:「あなた、愛してくださいますか?一緒にいてくださいますか。確認したいだけです。あなたと今日も結婚していますよね。」
同じように、毎朝、ある子供が自分のお父さんに尋ねます:「お父さん、僕を愛してくれる?一緒にいてくれる?ずっと僕のパパになってくれる?僕は本当にあなたの子供?」

少しありえない話ですが、多くのクリスチャンは、神様が十字架を通してキリストにあって既になしとげられたことを理解しておらず、既に与えられた愛と恵を、祈りや自分の行動を通して更にいただこうとしています。

この簡単なテストがあります:普段の生活の中で、神様とどのような会話をしていますか?また、その会話のどのくらいの割合が賛美と感謝ですか?
正直、本当の信仰生活は、賛美と感動と感謝ばっかりのはずですよね。割合と言ったら、9割以上ではないでしょうか。
夫婦関係、親子関係のように、一緒にいることを楽しみ、もっともっと愛し合うこと、知り合うこと、一緒に遊んだり、一緒に人生を分かち合うこともいくらでもできます。
しかし、そのことは全部、まず、結婚している、または、お父さんの子供として受け入れられている確信から生まれることですね。

信仰の歩みには、もちろん、波もあります。しかし、数ヶ月間、数年間、全体をみて、神様の安息に休んでいる心の姿勢から、賛美と感謝と感動がその多くを占めていないなら、神様に対する大きな勘違いを抱いているかもしれません。

信仰生活は、神様の素晴らしさ、御言葉の約束、十字架の充実した働き、神様の無条件の愛などの感動、感謝と賛美ばっかり溢れる生活であるべきです。

毎朝目覚めるときから、あなたは、神様の只中にいます。
キリストにあって、あなたは神様の好意の真ん中に置かれています。

あなたは、今から、なんとかして神様の好意、キリストの勝利を得るのではなく、すでにキリストにあって好意をいただき、その勝利に立ち、一日中、その勝利を経験することができるのです。

どうぞ、少し心を静めて、この御言葉を聞いてください。そして、一日中神様がすでにしてくださったことを感謝と喜びによって、応答してください!

1コリント 1:7 新改訳とリビングバイブル

「あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがな(い)」
「今やあなたがたは、あらゆる恵みと祝福とを手にしたのです。 」
「主のお心にかなったことをするのに必要な、あらゆる霊の賜物と力とが、あなたがたには備わっています。」

Ⅱコリント 5:17-19 リビングバイブル

「だれでも、キリストにあるなら、内側が全く新しくされます。 もはや今までと同じ人間ではありません。 」
「新しい人生が始まったのです。この新しい出来事はすべて神様から出ています。」
「神様は、キリスト・イエスのお働きによって、私たちをご自分のもとに連れ戻してくださいました。」
「そして、この恵みによる神様との和解を、すべての人に勧める特権をも、私たちに与えてくださったのです。」
「キリスト様によって、この世をご自分と和解させ、その罪を数え立てずに、かえって、帳消しにしてくださったのです。 」
「これが、人々に伝えるようにと私たちにゆだねられた、すばらしい知らせです。」

2ペテロ 1:3 口語訳

「いのちと信心とに関わるすべてのことは、
主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。」