今日は、いつもと少し違うメッセージをシェアします。
私の視野から見た、日本独特の束縛について少し話します。
これは、絶対に日本、日本人を侮辱するためのメッセージではなく、逆に日本人のための解放と自由への道を理解するためです。
また、他の文化、他の国、例えば私の母国ニュージーランドには、束縛がないとも、絶対に言っていません。
ニュージーランドにも、独特の束縛があり、そのための自由の道もあります。
今、この季節、お子さんをお持ちの方にとっては、中学、高校、大学受験まっただ中の方もおられるのではないでしょうか?
この季節になると、いつも考えさせられることですが、日本の社会の中に、この束縛がよく見えます。また、その原因も見えます。
残念ながら、小さい時から、社会で、また、家庭の中にも、この重荷を背負わせられた人達が、一生苦しんでいます。
小さい時から、日本人を苦しめて来たこの価値観は、あまりにも人々の生活に深く浸透していて、大人になっても、また、クリスチャンになって、イエス様の愛と恵みに目覚めても、なかなか抜けきれずに、束縛に留まったままの人が多くいます。
妻と一緒にソーゾーミニストリーという、心の解放のミニストリーをしていますが、また弟子の育成の中でも、人々の中に一番良く見える束縛です。
この束縛とは、簡単に言いますと、「人と比較すること」と「愛のために働くこと、つまり、行いで愛を獲得しようと頑張る事、パフォーマンス思考」です。
日本の社会は100メートル走のようなものです。
しかし、本当の人生、またクリスチャンとしての信仰生活は、アーチェリーのようなものだと思います。
どういう意味でしょうか?
日本では、小さい時から、あなたは、常に他の人と競争し、比較して育てられます。
ここではスポーツの事をいっているのではありません。スポーツで競争するのは当たり前のことです。
しかし、進学、受験、また就職の競争が小さい時から始まり、皆さんの実力は、個人の賜物や才能がどれ程特別で、ユニークなものかというよりも、偏差値での相対評価でしか判断されません。
例えば、ある学校の募集定員が10人だとしたら、11人目は失格です。100人でしたら、101人目は失格です。毎年、偏差値は上下するので、去年の偏差値なら楽に合格出来た点数だったとしても、今年のレベルであなたがその11人目、101人目だったなら、不合格です。
小さい時から、見えない大勢の人と競争しているように感じます。時に、その対戦相手はすぐ隣に座っている友人だったりもします。
社会からのメッセージ、先生や、友人から、また親や、時には自分自身の声がそのメッセージを繰り返します。
多くの人は、このプレッシャーの下で崩れてしまいます。不登校になり、引き篭もってしまいます。普通の社会の中に機能することができなくなる人もいます。様々な原因があると思いますが、不登校と引きこもりは、日本の大きな問題です。
もちろん多くの人がこのプレッシャーに耐え、打ち勝ってきました。
なんとか、うまく乗り越えれば、一時的には自分で満足し、周りの人も喜んでくれるかもしれません。しかし、一山超えても、また、次の山が待っている事がほとんどです。この戦いは、日本社会で死ぬまで続く戦いなのです。
常に、自分の努力が足りません。
常に、人と比べられているプレッシャーはつきまといます。
フェイスブックでは、他の人は、もっと楽しそうに、仲良さそうに集まっています。
新しく買った服も、2、3回、腕を通せば、また新しい服が欲しくなります。
クリスチャンになっても、自分の行動に頼る信仰:「もっと勤勉なクリスチャンにならなくちゃ!もっと聖書を読まなくちゃ!もっと祈らないとダメ!あの人は賜物が沢山与えられているのに、あの先生のようになれたらいいのに!」
悪循環です。すべてが悪循環です。
では、その解放への道は何でしょうか?
先ほど言いましたように本当の人生、信仰生活もアーチェリーのようなものです。
アーチェリーの大切なのは、的です。
自分のための、天から与えられた的、目的。
その的、目的は何でしょうか?
生まれる前から、天のお父さんはあなたを知っておられ、愛しておられる。あなたは、そのお父さんの子供です。
天のお父さんの子供として生きることです。これが目的です。的です。
生まれる前からの目的なので、あなたの行いとは関係ありません!
他の人とも、比べる必要はありません。あなたの的は、あなたでしか打つ事は出来ません。
的から、目を離さないようにしましょう。
天のお父さんの無条件の愛をいただいて、いただいて、いただいて、
感謝して、感謝して、感謝して、
その愛が、良いぶどう酒のように、私たちの心の奥底、その傷ついたところまで、浸み込み、癒すまで、飲んで下さい。
みなさん、
信仰生活は、全部受身的な姿勢から始まります。
天のお父さんの愛をいただいて、深く知って、経験して、感謝することです。
ぶどうの木のみきに留まること。
イエス様を飲むこと。
神様の愛の話をよく分からない人、あまり経験したことのない人、一つの提案があります:
今週、毎日、1日−3回でも、詩篇23篇をゆっくりと読んでください。
ゆっくり深呼吸をして、実際にイエス様の愛、その良いぶどう酒を飲んでいるように、想像してください。
一回は、ここでやりましょう。また、自分で、何回でも、やりましょう。
詩篇 23
1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
A Bondage Particular to Japan, And the Way to Freedom
Around this time of year (exams!) I am aware of a particular bondage in thought patterns in Japanese that are so destructive and damaging to people’s lives. This is in no way to judge or insult Japan or Japanese but to rather introduce the path to freedom from this bondage.
The two big things that are bred into Japanese practically from birth are comparison and performance mentality. There are many reasons for this (some of which I share in the message.)
We also constantly see foreigners who live in Japan, or even visit for the short term, coming under these mind-sets, sapping all joy and life from their lives.
Be set free into the joyful truth of being a son or daughter of God, not reliant on your own works or efforts to be there, and not needing ever to compare with others around you. This is an important message particularly for Japanese; please pass it on to your Japanese friends!
The message finishes with a time of soaking and drinking Jesus, to the words of Psalm 23.