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神が私たちの人生の中にどのように関わられるかをよく理解する時、私たちの人生は変革されます。それは「神が私たちのうちで何をしておられるか」又「私たちを通して何をしておられるか」を見ることができるようになるからです。そしてこの二つを混同することもなくなり、私たちは神の臨在に中で時を過ごし、啓示、導き、愛を受け取ることができるようになります。

しかし、これは普通すぐに経験できることではありません。「神を待ち望む」には忍耐が必要です。それはすべての事には最適で完全なタイミングがあるからです。伝道者の書3:1は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と告げています。
私たちは自分が願っていた、あるいは予期していたよりも物事に時間が掛かるとき、神を疑いたくなる衝動に駆られる時がありますが、これに対しては抵抗しなければなりません。時として私たちは「何も起らない」とつぶやいたり「ここは自分がいるべき所ではないのかも・・」と思ったりします。
しかし自分がいらいら焦れば焦る程、逆に神は物事を遅らせるということに気がつきました。それはやかんで湯を沸かしているようなものです。私たちが急いでいる時程、神はゆっくり沸かせられます。ですから私たちは、自分の周りで起っている状況の中にではなく、キリストの内に生きていることを忘れないようにすることが大切です。主が私たちの安息であり平安です。私たちの状況から平安を得ようとしても巧くいきません。なぜならば平安は頭からではなく、心からくるものだからです。平安は状況の中から生まれるのではなく、主との関係の中で生まれるのです。
心からの感謝と喜びが平安と安息を生み出します。なぜなら心からの感謝はすべての否定的でマイナスなものに打勝つからです。頭で喜ぶことは一時的な気休めにしかなりませんが、心からの喜びは私たちのライフスタイルを変えます。
感謝はありふれて起こることではありません。感謝とは主の喜びを経験することによって私たちが解放されて喜ぶことです。喜びこそ天国の持つ霊的環境であり、私たちの内なる霊的環境を永久的に変えるものです。
喜びは神そのものです。ですから私たちが喜ぶのは、神というお方の本質に私たちが応答することです。私たちは喜びの中に住まうことができます。それは神が喜びの中に住んでおられるからです。平安と安息とは、私たちの内なる命から生まれ出て私たちのライフスタイルとなるべきものです。どうか神のご性質の中に時々訪れるのではなく、神の内に住んでください。神の内に住まい留まるならば、神はあなたの内に住んでくださいます。(ヨハネ15:1-11参照)平安と安息は神の内に住まう結果であり、それは私たちクリスチャンが受け継ぐべき資産の一部です。私たちが神を相続し、神は私たちが受け継ぐ私たちの資産なのです。
神は、私たちが信仰によってこの真理に更に深く進み続けることを望んでおられます。私たちは霊的成熟の道を歩むようにと召されているのです。ですから私たちは、神を待ち望むことをもっと理解するように成長してゆかねばなりません。神は私たちの想像をはるかに越えた多くのすばらしいものを用意していてくださるのです。それは、第一コリント2:9に「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことにないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。」とある通りです。
しかし神のギフトを受け取るために、私たちは神の中に住まねばなりません。神がキリストの中に私たちのために用意してくださっている場所に入らねばならないのです。私たちのすべての集会 gatherings の目的は、私たち一人ひとりがすべてイエスとの関係の中に確立されることです。 キリストの中にどのように住まい、 又留まるかを聖霊に聞くのは一人ひとり私たち個人の責任です。その時に、安息が訪れるのです。(終り)
God Will Not Let You Stay Stuck – Graham Cook

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