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Centrality of Jesus – Eric Johnson
同時通訳:相馬伸子

エペソ4章、5章、箴言3章6節

エペソの4章、5章から話しますが、4章11節では5役者の事を言っていますが、彼らの仕事は聖徒達を整えて、奉仕の働きをさせるためです。彼らはキリストによって、私達、信者、教会に
与えられた「賜物」です。その力と権威を用いる目的はイエスキリストが指し示されるためです。決してそれが自分のミニストリーを建て上げるためであってはならないのです。
しかし、力と権威、賜物を用いている時に、増加するのは、神の国の性質です。あなたが全て主に捧げる時に、主は豊かに報いてくれます、しかし、キリストの体が残念な事に、他の体の部分に対して
非常に素早く裁く事をしています。私達は人生の終わりに主の前に立って、弁明するのです。私達の見ていない所でその人が何をしているかは全く私達は知りません。裁く事をやめなくてはいけません。

聖霊様を悲しませるにはどうするか知っていますか?29節、31節にある「悪い言葉、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、悪意」をすることですが、私達の文化ではこれは当たり前のようにされています。
5章1節には神にならう者になりなさいとありますが、それは神を「模倣」するという意味です。どうするのですか?29節から32節を実践することです。

私がウィーバーベルでユースパスターを始めた時には、75人のユースがいましたが、数年して誰もいなくなりました。その年の下のユース達との繋がりを作っていなかったのです。
導きは「神様の良さに働いてもらう」事でした。すべての方針を変え、ただ時間を一緒に過ごし、受け入れ、関係を作り、彼らの手を引いてイエスの所にあるき、主の光によって彼らの
心が照らされ、彼らが今までは普通にしていた事を、したくなくなる事を見てきました。 神様の良さが私達を悔い改めに導くのです。

あなたの人生はどこに繋がっていますか?信仰はどこに繋がっていますか?

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