同時通訳:相馬伸子

出エジプト33:13、マルコ8:13~21

私達が地上にいて、人生を生きる時の目的とも言える事、私はこれらのように思っています。

それは「神の証、神の道、神の臨在をよく管理する」事だと思うのです。

奇跡や癒しは「しるし」のようであり、それは「しるし」より偉大なものに導きます。

モーセは「あなたの道を教えてください、そうすれば、私はあなたを知ることができましょう」と言いました。

しかし、イスラエルの民は「奇跡、毎日のマナ」を通して神の手の技を体験しましたが、それによって「神の道、神の人格」を知る事に失敗したのです。

神の奇跡、しるしを体験するときに、それは「神の御手の働き」で終わるのではなく、神の御人格の現れとして私達をもっと深く神の御人格を知るための道に導く招待状のようなのです。

「癒し」たのであるなら、「癒し主」である訳だし、「満たし」たなら「満たし主」である訳です。

そこには「関係」「体験」へのドアがあり、新薬によれば私達全てがそのドアへのアクセスをイエスによって得たのです。

マルコの8章で、イエスが5つのパンで5000人を養い、12カゴの残りができました。その後には7つのパンで4000人を養い、5カゴの残りができました。

神は「小さいもの」を神の栄光がわかりやすいように用いるのです。

イエスは「ヘロデのパン種」「パリサイ人のパン種」に気をつけなさいと言いましたが、それは今も同じです。

神の国のパン種の他に「ヘロデー人道主義、政治的な思考で、神の存在はいいが職場や、学校には持ち込むな。人の方が神より偉大だから」という教えです。

そして「パリサイ人ー宗教、形や儀式があっても、神を信じているクリスチャンと言ってもいいけど、生きた関係は持たない」という教えです。

3つの「思考」が「現実を解釈」させるレンズのようにして 私達に影響を与えるのです。

目があっても見えない、耳があっても聞こえない、時には「思い出すのです」それは証です。

証をよく管理して、よく用いる事は「聞く」事を活性化させます。そして「信仰は聞くことから」です。

ベテル教会ではフルタイムで証を管理するためのスタッフを雇っています。沢山の癒しがありますから、その医学的な証拠や経過なども集めるのです。

「キリストの思い」は、私達に与えられていますが、人生の中での偉大な神からのギフトです。

 

日本語動画:https://youtu.be/z-gY8DCF9To

日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2018-4-24_Steward_the_Divine_BJ.mp3

英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/5138

英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/stewards-of-the-divine