ヨハネ20:1−23、コロサイ1:15、2:9
ローマ1:20、ガラテヤ2:20、ヨハネ11:14

よみがえりの日曜日、イースターは力がありますが、クリスチャンであるなら、毎日がイースター、よみがえりを祝う日曜日でないでしょうか?

よみがえりとはなんでしょう。
イエスはラザロと会堂管理人の娘をよみがえらせたことが記述されています、また預言者エリヤの墓に投げ込まれた兵士が生き返ったこと、エレミヤが乾いた骨に預言したら、
たくさんの軍隊になったと、あります。

しかし、イエスのよみがえりは、「死、罪、地獄」の力に打ち勝ったもので、またイエスは「死者の中から生まれた最初の方」ですから、イエスの前に生き返った人々はいても、
彼らはもう一度、死ぬのです。しかし、イエスは「全ての人のために、ただ一度」死なれたので、一度死なれたた後は、「死者の中から生まれて」新生したのです。
わかりますか? そして、御子が「第一の方」「初穂」ということは、その後に多くのものが連なるためです。

あなたのうちに「死んでしまった」事はありますか?結婚する約束をして、ドレスまで買ったけど、破棄になってしまった人のことが映画のように私の思いに見えています。
結婚し、離婚してしまった事、病気や、愛する人が死んでしまった事。
ヨハネ12:24には「一粒の麦が、もし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです、しかし、もし死ねば豊かな実を結びます、」とあります。
私達の人生の「家」に「落胆」のドアを持っていますか?落胆や失望を隠して、誰もそこに入れない部屋を作ってしまっていませんか?

私は「スピリット ウォー」という本を書きましたが、私と家族の中の数年にわたる苦しみや離婚の体験の「失敗」「落胆」から書いた本です。
この本は、今でも本当に多くの人を解放し、その証が届いているのです。
あなたは「人生の落胆ー離婚、壊れた関係、失敗した仕事、」という「種」を後生大事に持っていて、いつも眺めますか?
そうではなく、土に植えるのです、そしてそれが「よみがえり」となって神に贖われて多く実を結び、祝福を与えることを見ることができます。

ラザロがよみがった時、イエスは「布をほどいてやって、家に帰らせなさい」と言いましたが、私達の時にも同様です。
私達の中の「死」がよみがえったときにも、「村」、人々が必要なのです。 あなたが苦難の時に一緒に歩んでくれるような友です。

マルタは、イエスが石を取り除けなさい といった時に、「もう4日目だから、臭くなっているでしょう」と言いましたが、私たちも、主に願って、祈った時にも
「このように、答えてください」「主よ、そうではなく、このようにしてください」といってしまうのです。

私達信者にとっては、毎日が、「よみがえり」です。
あなたの「死」ぬべきではなかったけど、死んでしまったことがよみがえるように祈りましょう。