使徒の働き2章 ペンテコステサンデーですが、福音書を読んだ時に、イエスは「自分が父の所に行った後に」「助け主」「神の心を探るかた」などとして聖霊の事を弟子達に説明していますが、 でも聖霊は「風や、炎のよう」な方で、使徒の働きの2章ではものすごく大きな音と、炎のような舌としてこられ、そして人々は異言を語るのですね。 神様の方法だと思いませんか?神様は時に、「私たちがその約束を聞いた方法」と違う形で答える事もあります。

 

使徒の2章の部分では、聖霊はユダヤ人だけのものと使徒たちは思っていました。 知っていましたか?そこから15章になるまで、大体20年経っています。

15章ではエルサレム会議によって「異邦人が改心した時は割礼をしなければならないのか」について神学的に討論しなければなりませんでした。 割礼は当時の文化の中ではユダヤ人の中心とも言えるようなものでした。 神様はユダヤ人の中で働きたかったので、ペテロに語り、幻をみせ、「わたしが聖いと言ったものを、聖くないと言ってはならない」と語り、コルネリオのところに結果送りました。 そこで、ペテロが語りはじめた時に聖霊がくださり、異邦人にも神が触れたい、働きたいとユダヤ人信者たちに見せましたが、ここで使徒の2章から10年過ぎていましたが、考え方としてはまた、「聖霊はユダヤ人のもの」として考えられていました。

聖霊がそのエルサレム会議で「アモス書」からの預言を通して、「神の神殿は全ての国の民のもの」として人々の考えを変えたのです。 自分の考えではなく、聖霊の考え、神の方法に神学を「アジャスト、適応」しなければならなかったのです。

現在のアメリカの状況を見るなら、「人類の定義を再定義しよう」という動きが社会全体に満ちていて、それは難しく、困難で悲しくも感じますがいまだかって、歴史上になかったほどの霊的な覚醒が来ると信じているので、楽的的だし、希望で満ちています。  必要なことは、教会が「エンゲージ・関わる」ことです、社会にある難しい問題の会話、解決に参加することです。

わたし達は自分たちの「流れ」だけみて、それだけが「ベスト」で他の所は、あれがない、これがない様に文句を感じて見ているなら、それは「近視眼的」な視野です。 イエスは天にいかれた時に、彼の地上での働きを分けて「5役者」を選び、それぞれが部分的にイエスの務めを果たしているのです、主は意図的に分けました。 私達は、小さな小川のようです、自分のところが大きくて全てだと思うかもしれませんが、たくさんの小川があり、大河になり、海になります。 自分達ができないこと、持っていない事を他の流れが持っている事を感謝しましょう。 前進します、変わりながらです。土台は礼拝です、主の臨在です。神の臨在が全てです。一緒に前進しましょう。