同時通訳:相馬伸子

ルカ9:23 

中道、正しいバランスということは、イエスには全くあてはまらないと思いませんか?
イエスのその愛は極端の中の極端です。
よく聞かれることは、「あなたのようにしたいけど、それをやってどうやったらバランスを保ち、中道でいることができますか」なのですが、それは無理です。

ある時は、説教によって「教会」を測り、ある時は「賛美」によって測りましたが、今は「臨在」でわかるのです。
臨在は、触れることができます、感じることができます。主の臨在がなかれば、主が教会の集まりにいなければ、ただの集まりで、社交グループでしかありません。

教会は、主のものです、主がその聖なる神の御子の血潮で買い取ってくれたものです。
ここは、神の家です。神がやってきて、留まる所、住む所です。

私は癒しのミニストリーをしようと思っていました、病人に手をおいて祈りましたが、何も起こりませんでした。
有名な癒しのミニスターに「病人を癒す秘訣」を尋ねても「イエスに出会いなさい」と言われれるばかりで、自分はすでに救われているからイエスに出会っているのにと、不愉快になりました。イエスの単純さに自分は不愉快になりました。しかし隠れた所でイエスと出会う事が、あなたの歩む主の臨在をある程度決めることになります。
そして従順に従うこともそうです。

私は神によって打たれました、それはヤコブが天使と「神の祝福を受けるまで離れない」としがみついて戦ったので、足を打たれ、足を引きずったようです。
私から「独立」を神は取り去り、私を変えました。それは「権利の放棄」であり、「優先順位」や「尊厳」「自分のやり方」を私に委ねるかと尋ね、私は「はい」と言っています。それは神が私を掴み、ご自身の体として用いる事が出来るようにです。 

私はある時ルーテル教会に奉仕に行きましたが、そこに10歳位の髪の毛が無く、腫瘍が身体中にできた、ステージ4のガンと診断された少女がいました、彼女をみて、「神様これは正しくない」と憤りましたが、主が「今日彼女を癒そう」といったので、牧師と同意して「ガンよ、死ね、エマちゃんは生きよ」と3回彼女の頭に手をおいて宣言しました。数日後病院で、腫瘍が全て消えているだけで無く、癌であったしるしも全くなかったという診断結果になり、翌週日曜日に彼女が戻ってきて、教会で証をしている時に、礼拝堂の木の椅子に金が降ってきたそうです。
そこには「創造的奇跡」の油注ぎが解き放たれたので、数千人が癒されたそうです。 

最近、19歳の少年が、午後1時から夕方の間に100人以上の人を救いの為に主の所に導きました。ワイルドで、素晴らしいと思います。
「神様と出会い続けるんだ、神様の感情があなたの心となることだけが、あなたを保つことができるよ」と励ましています。
ジーザスムーブメントを神が生み出して、育てていると感じます。彼らは「イエスと恋におちた」人たちです。神が彼らを集めて、イエスを注ぎ増加して送り出しているのです。