同時通訳:相馬伸子

2歴代誌7:14, エゼキエル16:49、ヨナ書4章、

2歴代誌7:14は多くの方が暗唱できる箇所だと思います。もし私が全ての信者に向けて一つの聖句を選ぶならこの箇所のことになります。
それほどこの聖句が現在特にアメリカに対して必要な箇所だと信じています。
興味深いのですが、神は信者が「悔い改めて、主に立ち返る」為に、未信者を祝福し、それを信者が見て神の元に立ち変えるようにするのです。
結果として地が癒される為です。悔い改めは、「思いを変える・方向を変えて進む」意味ですが、私が若い時には教会の講壇の前で平伏して泣くことが強調されていましたが、それでは十分ではなく、思いを変えること、方向を変えて進むことが必要なのです。そして主に立ち返ることは神の民と主の関係が親しくなり、その中で溢れる祝福が土地をも癒すことができるのです。 

ソドム、ゴモラ、ニネベの3つの町の話をします、これは神の 裁きによって滅んだ街と、神の憐みによって助けられた街です。
ソドムとゴモラは非常に罪深い特に性的倒錯が日常的にあった街として聖書を読んでいない人にも使われますが、この街は神によって滅ぼされました。
ニネベの街は預言者ヨナが神によって「裁き、滅び」のメッセージを預言する為に送られましたが、彼は従わず逃げましたが、結局海に投げ込まれ魚に呑みこまれ、3日後にニネベの海岸に到着し、神がニネベの街を滅ぼすことを街を歩きながら宣言していました。それを王が聞き、街全体が悔い改め、神が憐み街が滅ぼされませんでした。悔い改めるなら滅ぼされないと神はヨナに言っておらず、王が「もしかしたら神が憐んでくれるかもしれない」と
悔い改めたのです。

このクリスマス、贈り物の季節にもう一度私たちは思い出す必要があります。誰もふさわしい人はいませんでした。神様の憐み、恵みを私達は受けています。
しかし、私たちはヨナのように、自分が受ける憐み、親切さは感謝して喜んでも、それを未信者や他のクリスチャンが受けると、憐みを与える人の洞察がたりないとか、裁くようになってしまいます。

エゼキエル16章49では豊かな食事や、時間や、繁栄がありながら、それを貧しい人や必要のある人の為に使わなかったとあります。
これはソドムのことですが、私達現在のアメリカもそのようであり、自分たちの周りの人たちの必要に憐みの心を閉ざしてしまっています。
奇跡は神の憐みの表現です、イエスが行った奇跡は「憐み」によって行われました。
カペナウムの街にイエスがソドムやゴモラであなたが体験した奇跡が行われたら彼らは悔い改めて滅ぼされることがなかっただろうと言われました。
カペナウムは宗教的な場所で、奇跡をイエスが多く行った後に、奇跡を見せてくれと宗教家が求めますが、それは周りの人の必要を見て憐んだのではなく自分達の満足の為に奇跡を見せてくださいとエイスに頼みました。憐みの心がなかったのです。

悔い改めは全ての神様の働きの中心なのです、心を変え、思いを変える、そして神の方に立ち返り前進するのです。 

Bill Johnson concludes the series “God of Reformation” by teaching about repentance and compassion through the historical cities Nineveh, Sodom, and Gomorrah. Repentance is at the heart and soul of every move of God.

English Audio – 英語音声:

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English Video – 英語動画(要登録): https://www.bethel.tv/watch/9156