Slaves Servants or Friends – Eric Johnson JAPANESE

同時通訳:相馬伸子

ヨハネ15章、エペソ5:22〜33

今日は「奴隷としもべと友」というテーマです。

自分は、教会で子供の時から育ち、強い影響を受け、色々な体験をして、強く教会を愛しています。

教会は「最も困難に打つ勝ってきた」グループであることは、歴史が証明しますが、どのような運動が世界で教会を根絶するために起こっても教会は打ち勝ってきました。独特で、変わっていて、時に奇妙ですが、美しいものです。

教会はキリストの花嫁、そしてキリストが花婿と現される時に、特に男性が花嫁の意味にしっかりと繋がることができない事があります。「親密さ」とは「自分の最も隠されていない姿を誰かと分かち合う」事だとも言えますが、多くの時西洋文化の中では「性的な関係」という意味に通訳されてしまっています。自分の事を結婚するための交際を妻と始めた時から、全く異なる視野で見ることになりました、そして子供達が生まれると、さらに異なる「親密さ」自分の本当の姿が家族に知られることになるのです。自分が思っていたより、自己中心で、わがままであることが

わかり、分かられます。

奴隷とは、主人と何の関係もなく、住居も離れています。権利も意見もないのです。しもべは少し異なり、もしかしたら、少しの接点があるでしょう。主人の家のはじにしもべの家があるかもしれません。しかし、友は全く異なります。ヨハネの15章では英語では全く知ることができない、コミュニケーションの変化があるのです。イエスは「あなたを友と呼ぶ」と言われましたが、その時から、弟子たちに「たとえ話や、比喩を使う」話し方から、「シンプルに、はっきり分かるように語る」方に変わりました。

奴隷、しもべから友になるとは、どういう事でしょう。自分にいる「とも」とは、ある日急に「友達」になったのではなく、時間をかけ、自然になったのであり、話をするときもにどんどん会話が進むのです。自分の祈りは、ある時まで、自分の必要の事を話す事で、90%以上が成り立っていたので、それをしない事を導かれた時に、ほとんど神様と話すことがありませんでした。

今では「友情」が祈りの土台であると思います。

「真の友」であるなら、相手が危機にある時に、自分のやっている事を全て置いて、その友の必要を満たすために奴隷、しもべとなることができるでしょう。ですから、奴隷、しもべとなり、従順することを求めるのです。その道は近道はありません。神様が私たちをそのように すでに見ていてくれるのです。もし、あなたが自分は 今奴隷です、しもべですと感じても、それはその季節にいるということでしょう。でも、その季節がおわった時の事を考えてください。素晴らしいものです。

日本語動画:https://youtu.be/9CJRPBhNixs

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4294/slaves-servants-or-friends-sunday-pm/2016/10/16

「奴隷としもべと友」エリック・ジョンソン