マタイ18:10
マタイの18章でイエスは「考えかた、態度、視野」について教えています。イエスが初めに人を改革するために言われたのは「悔い改めなさい」であり「考えを変えなさい」という事でした。神は天で考えるように、チでも同じ考え方が常にできる人々を立て上げています。
10節で「あなたがたはこの小さい者達を一人でも見下げない様に気をつけなさい」といっていますが、これは「小さいから重要ではない」と「考えてはならない」と言っています。私達の教会では「敬う文化」を強く強調していますが、肩書きのある者、ビジネスリーダーを敬う事、丁寧に取り扱う事は簡単だし、それは権力争いのようですが、神の御国の原則は「最も小さいものを敬う」ことであり、「自分に利益を与える事ができない」人を敬う事です。
マタイ18章12節から13節は良く伝道の為に読まれる聖書箇所ですが、これは「子供の価値」を教えているのです。悔い改めて子供の様にならなければ神の御国には入る事ができないともイエスが言った様に、子供とは私達が救われたならあるべき姿なのです。私達の教会では30年ほど前に「神は子供に子供サイズの聖霊をあたえない、同じ聖霊を与える」事を学び、それから子供達の価値を見て祝う事をしてきましたが、本当に主が子供に重要な事を与え、また子供を通して偉大な事をされる事を経験してきました。
また私達は「まだ救われていない人」にも神が見ている様に見て価値を見ることを信じています。神が敬っている人々を私達が敬わないのは愚かな事でしょう。また、牢屋にいる人にした事は私にしたのですともあるように、神は私達が神様以外の人にした事をも神様にした事だと個人的に受け取ってくださるのです。
10節の後半では「彼らの天の使い達は、天におられる私の父の御顔をいつも見ているからです」とあり、私達が地上で最も小さい者達を敬う、神様が見る様に見て、考える時になにか、天の御国と地上の霊的な領域に起こる変化に関して繋がりがあるのです。それは開いた天、天と地が近くなるような、薄い天を作り出すようです。
私達は礼拝賛美や聖霊の注ぎが開いた天をもたらす事を信じて、祈り歌い宣言しています、しかしそれだけではなく、なにか「神に対してではなく他の人」を敬う時に主が
開いた天、薄い空をこの街の中に開いて下さって、主の臨在、栄光がやって来て、人々が神の愛を体験する事ができるようになるのです。それは、あなたが親切でない近所の人、同僚に対して「敬う」事を選んだ時に起こるのです。

「薄い空」と子供達 Children and Thin Places – Bill Johnson