ルカ2章1〜7節 、コロサイ1章26、27節
「イエスがなぜ生まれたのか」と言う事を話したいと思います。イエスが生まれて来るまでは、人々は宮に行って神を礼拝し、また裁かれない様に願う事をしてきました、長い間です。しかし、イエスが生まれた事は「究極的な宮」の為の「究極的ないけにえ」となるためです。 
あなたがイエスを信じて、イエスを主とした時にあなたが「究極的な宮」となりました。あなたのうちに「見えない神の本質」が満ち満ちている、御子イエスが来られたのです。パウロはこの奥義を啓示された故に、あれだけの多くの試練を通り続けることができたのでしょう。
また、私達が「聖徒」としてのアイデンティティーを持つ事をコロサイ1章から見つけます。「聖徒」ならは 私は祝福を受け、今を生きる事のできる価値観があるでしょう。しかし「罪人」としてのアイデンティティーは 私が今日受ける事ができる祝福は無いし、私が祝福を受ける為にはその為に多くの事を達成しなかればならないとと思ってしまうのです。
「希望の栄光」があなたの内にあるので、あなたが問題に気がつくのです、見てしまうのです。全ての問題に関しての「解決なるイエスキリスト」があなたの内におられるからです。でも、私達の傾向は問題に気がつき、文句を言って、誰かがこの問題の為に何かしてくれなればと語り合うのです。私達がその問題に対して、顔を背けず、問題である事柄に踏み込んでいく事がなければ、栄光の希望イエスがした様に解決を解き放つ事はできないでしょう。
もちろん、最初は何をするか皆わからないでしょう、しかし踏み出して解決の為に動き出すならイエスが「私の去った後に、困難があるけど、聖霊があなたに何を言うのかを教える」といったように聖霊が導きます。ですから、踏み出して、問題に目を向け、イエスの解決を解き放ちましょう。

あなたの中にあるクリスマス Christmas is In You – Bill Johnson