マタイ28章、ヨハネ11章
私達は御言葉を教えますが、もちろん、デモンストレーション実践ます。今日は主が「よみがえり」の命の力を実践されたいと願っていると感じます。
もし、私達の人生の中に「希望」を持つ事ができない所があるなら、その部分は嘘に影響されているのです。聖書的な「希望」はただ、願いがいつかかなったらいいな、できたらいいな〜という意味では全くありません。聖書的な意味の希望は「神のご人格による、良い事が自分の人生に起こる事を信じて楽しみに待つ」ような事です。それは、クリスマスの朝に子供達がツリーの下にある自分のプレゼントをあける前の喜びで一杯の気持ちのようだと例える事ができます。
ある方は希望、夢、仕事、結婚、関係、家族などの状況に、絶望があるかもしれません、しかし主が今日打ち破り、よみがえりの力を解き放ちます。イエスは「私がよみがえりである」だといわれました。主のよみがえりは私のもの、主のよみがえりはあなたのものなのです。
多くのとき「奇跡やしるしを見なければあなたは信じない」というイエスの言葉は、ネガティブなイメージがありますが、でも、もしイエスが私達の人生の事を知っていたら、どうでしょうか? 「あなたがたは奇跡を見ないと信じないね、それならここに奇跡がある、これで信じて下さい」というようにはかんがえられないですか? 奇跡の目的は私達が神を見て、信じることです。私達を神に導くことです。

よみがえり Resurrection – Bill Johnson