ルカ15章、
ベテル教会は、生れてから50年以上になりますが、この場所を私の曾祖父母達、長老達が幻をもって、買った時には「市街地から遠く離れた丘」として見られていたので、私達は「丘の上のクレイジーな教会」と呼ばれていました。でも、クレイジーと呼ばれることは、普通ですし、私達とある期間過ごすならば、これもあなたの普通になるのです。ベテル教会は「都市に侵入する」としばらく言いながら、それを実践してきましたが、実践していない人たちからは、この「言葉」に対して大きな否定的な反応を受けました。私達は言葉についているイメージに影響されるのです。今は私達は「都市を良く愛する」という言葉を同じ事を表現する事に使っています。
去年、私はレディング市の都市建設業界団体から、頼まれ昼食会でベテル教会の事を話しました、そこで気がついた事は、今は「街が丘を登って教会に来ている事です」
しかし、2016年は「教会が丘を下る」のです。イエスの情熱は、「失われた人、物を回復する」ことですね、ルカ15章でみえるのは私達の父は、回復する神、人でも、物でも、羊でもそうです。ある人は自分の人生の戦いや悲しみで、人の人生の悲しみや痛み、失われている事柄に触れるのは嫌だと、それらから完全に自分を切り離していますが、それでは、イエスの言われた事はできないでしょう。
人の痛みを見て、同調する時に、あなたの内にいるキリストの栄光の光、いのちの光があなたから輝くのです。あなたが解決である主イエスを持っているなら、解決が必要なところに行ってください。

丘から降って Coming Off The Hill – Eric Johnson