ヤコブ1:2
信仰で歩いている時に、チェックされなければ、それは「自分には資格がある」と勘違いしています。その意味は「自分の祈りは答えられ、打ち破りを得た。それは聖書に書いていることをきっちりしているからだ」と思って全ての事が恵みであることを忘れてしまうのです。全ては恵みなのです。しかし、「私の能力や何かはそれが起こったことの理由」と思ってしまう性質が私たちのうちにはあるのです。神の御国を受けるには「心が貧しい霊」を持つことですが、それは自分を否定的に見て、何もないというのでは悪魔に同意しています。全てが恵みであることです。
リバイバルは私たちが何かしたから起こるのではありませんが、神が語った、言葉によって創造された流れに私たちが入って行ったので、それが起こったのです。私たちは神から離れては何もできませんが、同時に神も私たちを通して働かれるのです。
刈り込みは私たちが従順に主に従った時に、実った実をもっとよく実るためにすることですから、それは恵みです。刈り込みを受けることは罰ではありません。しつけされることは罰やはずかしめではなく、恵みです。
旧約聖書ではあなたは周りにある、汚れや邪悪 によって汚れるので、それらから分離していなければならなかった。しかし新しい契約、イエスが来てからはあなたの中の義のちからがあなたの触るものを聖なるものと影響を与えることに変わりました。
試練にあった時、その結果を先に計算して喜びましょう。足りないものがあるときには、神がそれを満たすことができ、「欠けたところのない者」とされることができるのです。祝福や増加によって私たちが殺されてしまわないために、主は私たちを試練をも用いて整えるのです。

信仰対資格 Faith vs Entitlement – Bill Johnson