箴言3:5、ヘブル10:31~37、詩篇23:5
私達が神様からの召し、使命を成就する為にこの2つの事を学ぶ事は必須です。自分自身がミニストリーを受ける事、そして落胆した時にそのなかでどう歩くかです。
「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ」の認めよの原語は「知る」という言葉であり、それはアダムはイブを知りそして子供を宿したに使われる言葉です。親密さを持って知るという意味です。ですから、どんな状況の中にあっても主を「体験して、知って」いく事によって、主が道をまっすぐに歩きやすくしてくれるのです。「私の敵の前で、あなたは私の為に食事を整え~」とありますが、この食事は「親密さ、交わり、」を指していて、これを見つける事は私達の特権です。力が無い時にも、この食卓を見つけるなら、そこには弱い者が座り、その弱さの中に神の力が完全に働く事になります。敵が私を取り巻いているかもしれません、でもそこには食卓があります、食事をともにする事、宴会があるのです。
使徒の働きを読むと、聖霊の力の働きが沢山あり、その中に見るのは「奇跡」と共に、「耐え忍ぶ事」です。まだ私達は「理解できない事」があり、願って祈って来た事がそうならない事の中に生きています。信仰は答えをもたらしますが、願って祈って、理解できない困難な状況にあるときに 耐え忍ぶ信仰が必要であり、それは答えとともに練られた品性を与えます。それは、「神を信頼する」ことに根を張っているので、困難な時にこそ主に100%の信頼を持って「はい」と言うは特権であり、そのなかに力があります。

力の二つの目的 The Dual Purpose of Power – Bill Johnson