マルコ9章
1節では、イエスが神の御国をここでは、今まで語っていた御国の様子にまた一つの説明を加えて語りました。「神の国が力をもって到来している」事です。黙示録を見ても力が解き放たれているのがわかります。力がある時、栄光もあるのです。
モーセとエリヤがイエスの所に現れましたが、モーセは権威、エリヤは力を旧約聖書の時代にひな形として現しています。彼らはイエスが後に達成する計画をイエスに話しに来ていたが、それは十字架での死と甦り、イエスご自身がこの世界の罪、もっとも忌み嫌うべき物そのものになられて、父なる神がその罪を打ったのですが、「罪を打つ」事が父の喜びであるただ一つの理由でした。
その時、御顔が代わり、御衣が白く、稲妻のように光った、それは「異なる」と言う意味の言葉であり、それは「栄光」の中に物事が現れると「様子、現れ」が変わります。この時イエスは、「ある時は人のよう、ある時は神のよう」でした。
「変貌」「変わる」と言う言葉はローマ12章の2節「心の一新によって自分を変えなさい」と同じいみです。これは「変えられた思い」の事です。心が一新すると「光輝き」ますが、それは「反射」ではなく、イエスが太陽の様であって、月の様に反射する輝きでないように、自身が輝く。神の希望をどのような状況でも輝かせる事ができる思い、心が「一新された心」です。神は神の思いをどのような状況に対しても、神の御心であるシャローム、希望、将来や神のご計画を解き放つ事ができる者達を立て上げています。「思い/心」の中に「違う世界、神の御国」を解き放つ事ができる人々です。御国への到来が力を持って行われる事をイエスは弟子達に見せた。見えない物が見える様になって現れる。
エリヤがエリシャに2倍の分け前の外套を残して去った時に、エリシャがもしエリヤから火の戦車によって焦点を奪われたら彼は願った物を受け取れなかったでしょう。
火の戦車はしるしや不思議であるけど、私達にとってもしるしや不思議が人々の関心をイエスからミニストリーや私達に向ける物であってはならないのです。しるしや不思議は人々の心、目が主イエスに向けられるためです。権威があなたを奴隷や束縛から導きだし、力があなたを約束の地に入れるのです。

変貌を遂げる山 Mt Transfiguration Kingdom Come – Bill Johnson