マタイ6章:「主の祈り」の中で「あなたの王国が来ます様に」「あなたの御心が天でおこなわれているように地でも行われます様に」と私達は祈りますが、この聖書箇所がギリシャ語の文法で正しければ「あなたの王国が来る!」「あなたの御心が天で行われているように、地でも行う!」と言うように私は言い換える事ができると思います。イエスが「人の子」としてした全ての事は、もし主が「神」としてそれを行ったなら、私自身は傍観者となる事でしょう。
しかし、イエス人としての制限の中で「父との関係の中」で全ての事を行い、イエスご自身の罪が無い状況も私達はイエスを信じる事で受け取ります。だから私は「傍観者」にはなる事はもうできないのです。イエスは普通のクリスチャンの基準です。イエスは祈りが聞かれない時にどうするか?は教えませんでした、聞かれない祈りは無いからです。祈りは人類と神とのフェローシップ、交わり、友情にあっての呼吸であり、会話です。私達は神の心を知り、神の心を動かす祈りをする事ができるのです。
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天国がくる時 When Heaven Comes – Bill Johnson