ベブル11:11〜13、詩篇42:5、箴言13:13
希望は「感じる事」ができ、信仰は「みる事」ができます。そして愛は「絶える事がない」のです。
希望とは「神が何か良い事を私にする、それはいつとかどのようにかは判らないけど、それは私にくる」と感じる事です。それによって信仰で「見る」事ができます。また、信仰は「見る」ので盲目の信仰は本来はあり得ない物です。信仰は状況を理解して、それが逆境でも神を信じるものです。
恐れとは、間違った神に信仰を持つ事、それは「悪い事が自分にやって来る」と信じていることです。
ダビデは詩篇42:5で「我が魂よ、なぜおまえは絶望しているのか」と自分の魂に語り、人間が3つの部分からできている事を適切に活用しています。私達が「御霊によって導かれる」時に、私の霊は好調でも、魂が落胆している時があります。しかし、私達が「神に希望を置く事」を自分の魂に語る事ができます。
箴言13;13から、間違った事に、希望を置く、また希望が無い事で「心が病む」事が判りました。「願った事がかなわないから」心が病むのではなく、「希望がなくなる」から心が病むのです、だから希望を保つため、「告白」すること、また「覚える事」は非常に大切です。

希望という神からのXファクター Divine X Factor – Kris Vallotton