イザヤ9章7節 2コリント3章3節、16〜18節
2つの事をイザヤ書からはなします。「永遠」と言う事です。神の御国は「主権が増し加わり、その平和が限りなく」とあります。私達のいる世界は「時間、時」があります。また生まれた物は死があるように、「終わり」があります。
しかし、「神の御国」は永遠であり、終わりがありません。「熱心がこれを成し遂げる」主は「ねたむ」神です(これはネガティブな意味でなく、「情熱があり、熱心さがある」意味で使いますが。)私達が自分のアイデンティティーが「罪人」の考え方であるならば、主の熱心さは信じる事が難しいでしょうしかし、そうではなく、主は私達に「主ご自身が熱心さを持って、働かれ、成し遂げる」事を強調しています。それが「神の御国です」。
「神の御国」は栄光から、栄光に変えられるような、上昇、成長の一方通行で、その他の選択はないのです。もし、あなたが人生全てを主に捧ずに、主を冒涜するような事をしているなら別ですが、私は「主に全人生を捧げて従っている」人々に話していると信じています。人生の最悪の季節だと「感じても」あなたは「上昇」しています、なぜなら「栄光から、栄光へ」しか存在しないからです。状況に文句を言わずに、「栄光からえいこうへの一方通行の考え方」をもって、状況を受け入れて、変化を見ていきましょう。御国に入り「神の事柄、ご人格」が情報としてあなたにあっても、実際にそれらを「知る、体験する、慣れ親しむ」事なしにあなたは、それを持って働く、動かす油注ぎはないでしょう、しかし、時間をかけ、練習し、成長する事です。最初からできる人はいません。
「できない」事を拒否することによって私は「平和をもつ」事ができるまで訓練を続け、「平和」を得ました。ある人は御国の中にいて、見ているけど「持っていない」でしょう、ですから「できる様になりたくて試している事」を忍耐を持って続けてください。神の王国をどれくらい持つ事ができるのは、私達の選択にもよるのです。
主は、私が参加しなくても御国の働きをもちろんされます、誰か他の人を用いるのです。そして、「御国」は捧げる事なしに持てる物ではないのです。全てを売って、買うのです。

御国は一方通行だけ Only One Direction in the Kingdom – Eric Johnson