2歴代32:23〜26、2サムエル24:24 
恵みは主の臨在が私達に力を与えて、不可能が可能になる事あり、それは私達信者がイエスが生きた様に生きる、弟子となって生きる為である。
現在ある教えは「恵みがあるから、罪を犯しても大丈夫」といって、恵みの意味を誤用しています。ですから、この恵みの話しをします。2歴代誌では「ヒゼキヤは自分に与えられた恵みに報いようとせず」とあります。恵みだけでなく、神の国の法則では、好意やプロモーションは、自分の益の為だけではなく、かえって周りに益を与える為です。ソロモンも彼に与えられた神からの好意は神がイスラエルの国を愛したからです。神からの好意、恵みを受けている時に、私達に感謝や賛美ではなく、「神だから親切であたりまえ」と思い、捧げる事に躊躇したり、反抗的になる時にそれは高慢さの中にあるのです。
恵みを受けたら、私達は「捧げる事」をします、それは「支払い」では全くありませんが、豊かに与える事の中に生きる為、私達は犠牲を払い捧げます。
また、「自分の十字架を負ってわたしについてきなさい」の目的は、私達が主の弟子となるライフスタイルを生きるためです。イエスの十字架の死、よみがえり、流した血潮で贖いは完全に達成されました。ですから、私たちが「十字架を負って」行く事は贖いの働きでなく、「主に従う、イエスの弟子となる」為のライフスタイルを整えるためです。

恵みによって報いる Grace Pays – Bill Johnson