マタイ22章33〜40節 1コリント13章
「愛」は全人類が切望しているものであり、もし私達が理解して、しっかりとつかまなければ、一生ほかのもで埋めようとしてしまうものですね。マタイ22章でイエスがパリサイ人の律法学者に「一番大切な戒めはなんですか」と聞かれて、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せ」そして2番目は「隣人を愛せ」といったのですが、多くの事をこの2つがまとめていますね。
私たち信者は愛の事を聖書で知り、自分たちが愛するべきだから愛するという側面もありますが、それだけではなく、頭からの愛、理論的に正しいから聖書的に正しいから隣人を愛することではなく、もっと深い所心から隣人を愛せる様に神様に願う事をするべきだとおもいます。私は子供が生まれてきた瞬間に自分の中にあった「自分の子供が生きる為に自分は死んでもいい」という愛が目覚めました。これは、論理的でもなく、理解されない様な心からでてくる愛です。
多くの場合、私達は隣人を選択できません、時には愛するのが簡単な人でしょう、でも時にはあなたを憎む人や神を憎む人かもしれません。私が最近危機感を感じるのは神を非常に愛しても、人を愛さない人に会う時です。私自身こういう人にあうと「神様、私の愛する能力、許容量を広げて下さい」と祈ります。
時に私達は、自分に対しての主の願いが何かという事を求める事に時間を費やしすぎていると思います、私が気がついたのは、神の願いは私が隣人に対して何かする事なのです。その隣人が1人のなら神の願いはあなたがその一人に対して何かする事、その隣人が群衆ならその群衆にあなたが何かすることだと思います。
マタイ22章から私はこういいます、「一つの目で神様を見て、もう一つの目で人々を見る」。人生でシンプルな導きを求める時に、この原則をぜひ用いて下さい。主に求めて下さい「主よ、私がもっと人を愛する為の許容量を広げて下さい、あなたにその為の許可を与えます」

愛があなたの割当です Love is Your Assignment – Eric Johnson