イザヤ35:1〜7 ネヘミヤ4:15〜21
「疲れた者を励ます」メッセージはいつ聞いても良い言葉です。しかし、主が私にこれは「今」の為、そして「体、共同体」としての必要があり、預言的に今がこの「疲れた者が多くいる」ので励ます事を解き放たれると信じています。
イザヤ35章で「荒野」や「砂漠」とありますが、これは例えなので、実際の場所はなく、私達の人生の中にある季節です。約束の地にはまだ、到達せず、しかしエジプトからは立ち去ってきている、その間の乾燥した、大変な、進めなくなっている時です。
「疲れた者を励ます」と言葉とネヘミヤ4:17節の「投げやりを堅く握って」という言葉は、全く同じ言葉です。ネヘミヤは城壁の回復を成し遂げますが、私達の人生の城壁も色々な事柄で破壊され、それを回復する働きはそれぞれがする事ですが、敵が妨げ、力を失う時に、「槍を堅く握って立つ」ということは「私はあなたの為に敵と戦う、敵からあなたを守る為に武器を持って立っています」とする事が励ましなのです。時に私達は「あなたは良くやっている」という事を励ましとして語ること以上の事が必要です。霊的な戦いを他の人の為にする事です。
悪魔に焦点をあて、まるで神が弱いような感想を持ってほしくないです、しかし同時に敵がいる事を認識する事をパウロやペテロはしっかりと語っています。時に私達は敵の攻撃を普通に対処しようとします、病院やカウンセリングを受ける事などで解決を見ようとしますが、霊的な戦い、敵のアタックのときもあります。
「弱った手を強め」ることは「力強くされる」ことでもあります。ヨシュアは「雄々しくあれ、強くあれ」と主から「命令」されました、それは「提案」ではありません。ヨシュアは荒野を恐れてはいませんでした、相続である約束の地を恐れていました。
恐れは正当化されていいものではなく、解放されるべきです。あなたが、もし恐れを受け入れて、恐れている事柄をしない範囲の中で生きているなら、あなたは既に恐れによって、神からの使命を
縮小しています、あなたは、キリストの内に既に隠されているのです。隠されていなければできない事ができるのです。すでにあなたがいきているのでなく、聖霊があなたの内に住んでいます。

暗い季節に立ち向かう時 Dealing with Dark Seasons – Kris Vallotton