2コリント3:18 
「栄光」の中に生きる事は、神様が全ての人類に最初に与えた使命では無いでしょうか?
「罪により栄光には足りないものとされ」とありますから、反対に考えたらその前は栄光、現されたイエスの臨在の中で、その臨在をもって生きる事があったのでしょう。
2コリントの3章はとても意味のある場所だと思いますが、パウロはいくつかの事を比較して私達「新しい契約の信者」が受けるべき物を見せています。それは「消えていく栄光」ではなく「増加する栄光」です。人が主に向くなら覆いが取られるのは神の憐れみで、主が未熟に啓示を人に与えて、準備ができていない人に責任を与えられないのです。しかし、従う準備のできている人に主は啓示されます。
私達が「主を見る」ならそれによって変革されるので、敵は「内省的」「恐れ」「焦り」などで私達の目を神の栄光から反らせようとします。「静まる事」は大切です、忙しさは栄光の敵であり、それがクリスチャンの働きであってもです。行いによっては得られない神の栄光があります。ルツヘフリンさんはいいました。「礼拝の霊が来るまで、賛美して、栄光が来るまで礼拝するのです」。

栄光を見つめる Behold the Glory – Bill Johnson