2コリント9:7〜11 
「貧しさ」というのは物が無いとか、現金がないということではなく、心の中の状態。敵は、真実をねじ曲げる、極端にします。たとえば、あなたが物質的に豊かで沢山のお金があれば、霊的に成熟している、またあなたが人生で貧しければ、霊的に成熟しているというふうに、両極端にずらしていく。貧しさは神の物ではなく、反対にイエスの贖いによって「罪、病、貧しさ」の力は壊されたのです。
どれくらいのお金を手にする事が「多すぎる」のでしょうか?それはあなたの信頼が神からお金に移ってしまう時です。神は具体的にどれくらいの経済を私達が持つかに対してはあまり興味がないと思うのです。関心があるのはどこに信頼するかです。
蒔く種と食べるパンー豊かに与える事と義の実の繋がりをもう一度見て下さい。豊かに与えるものは、義の実、永遠の領域に影響を与えるのです。種は 将来の為に蒔くもの、パンは自分の個人的な楽しみの為であり、種を食べてしまっては、来年の収穫はありませんが、パンを植えても収穫もなく、パンは無駄になってしまいます。
イエス様の人生の周りの「豊な人々」によって主は「豊かさ」を通して助けを受けられました。ですから豊かさは不品行ではないのです。しかし、私の弟子訓練の背景によって牧師である私はビジネスや投資、売ったり買ったりには絶対に関わらず、主の超自然的な満たしにいつも信頼すると思っていました、でも考えは変えられました。種は「投資」の為に使い、その収穫から他の人のため、御国のために使うための物でもあると分かりました。ミナとタラントの例えで叱られたのは預かったお金を増やさなかった僕です。主の心は増加、前進です。

目的のある繁栄:ちゃんとやろう Prosperity With a Purpose: Done Right – Bill Johnson