創世記1:27、ルカ10:38、ルカ15:8 
神は神の似姿で人を造った時、そのうちには「男性と女性」がいたのです。神は男性ではなく、神はご自身を適切に現す時にあたって男性と女性の両方を造られました。ですから、女性を教会の中で圧迫するなら、神の本質の半分、啓示の半分をを私達は失っている、現させていない事になります。堕落した時にイブへの呪いは「あなたは夫を恋い慕うが、あなたの夫があなたを支配する」ことでした、これは全ての男性が全ての女性を支配する訳ではないのですが、近代の聖書解釈がそのように言っているかもしれません。
マラキ書とマタイの間、400年間の沈黙がありましたが、この間にユダヤ教ができました。イエスはこのユダヤ教文化の中にこられました。旧約の律法は220くらい。しかしユダヤ教律法は670ほどあり、そのなかの100ほどは女性を制限し、弱体化させるものでした。1世紀のユダヤ教の文化では女性は男性の所有物であり、教育を受ける事は違法でした。
しかしイエスがした事は女性に教え、価値を認め、与え、力づけました、だからパリサイ人達、サドカイ人達はイエスを憎みました。マリヤ、マルタとの繋がり、「先生」と彼女達が呼ぶ事、マリアはイエスの足もとで教えを聞き、後にマルタは神学的な質問をする事、などこれらはとても過激なことです。イエスが行く所には、女性や子供達がいたが、それ自体で当時は非常にユダヤ教の文化伝統からは真っ向から違反をしていた。イエスは、ラザロをよみがえらせる前に「涙を流した」とありますが、ラザロをよみがえらせるのは4日前から知っていました、ここでイエスはマリヤの心に、ご自身の心をよりそわせ、共に泣き、「私はあなたの情熱を喜ぶ」と女性の現す、神様の情熱を喜ばれた。

真の女性解放の運動 The Original Women’s Liberation Movement – Kris Vallotton