イザヤ9;6、7、35:1〜6。マタイ2章6節 
クリスマスには「クリスマスストーリー」とよぶ聖書箇所を読み、私達の多くはその箇所に親しんでいます。その他には「ダビデとゴリアテの戦い」「クジラに飲まれたヨナ」「ノアの箱船」などですが、慣れ親しんでしまう難点は、そのみ言葉が剣として語っている、機能している「刃」の部分を失ってしまう事です。
今日はクリスマスのメッセージ、救い主が来る、来た事を話しましょう。
イザヤ書は預言書ですから、預言的に読むことが必要です。預言的に読むとは、たとえを用いて神が話される事を理解する事です。イザヤ書9章6、7節では「男の子」が与えられた、その名は「永遠の父」とあります。イエスは天の父の栄光の輝きですから、このようなユニークな事になるのです。そして「主権は肩にあり」とありますが、肩とはなんでしょう。教会の頭はキリストで、体はキリストです。肩は体ですから、統治する権威は私達に与えられています。息子、御子が来たのは父を現す為です。子は父を現すのです。私達も息子、娘であり初めて上手に父を現すことができるようになるのです。
「統治者」と「羊飼い」をイエスは同じ働きとしています。それはマタイ2章6節から見る事ができます。統治する事は、牧者であることであり、それは羊を守り、養うことです。その為の特権であり、統治者が自分のヴィジョンの達成の為に下にいる人々を使うことはできないのです。
イザヤ書の35章で、神様と私達のパートナシップを持って働く事が見えます。3節は命令であり私達が弱っている人、恐れている人に「恐れるな、嘘を信じてはならない。神はあなたを助ける」というならば、「そのとき」と書かれていますが、その後に、神が好意をもって働かれるのです。そのような約束です。私達が問題や葛藤のある人に「恐れるな、神はあなたを守る」と宣言、祈る、預言するならば、それは神の好意、恵の働きを解き放つものです。共同作業なのです。また、神はあなたの重要性ではなく、あなたが自分を差し出しているから、用いて働かれるのです。

神は自分を差し出す器を通して働かれる God Works Through Willing Vessels – Bill Johnson