ダニエル1章
私達が神の御国を満ち満ちて受け取る為に、どうしても変化すべきなことがります。それは「人類は良いものであり、良い事を行う」ためにあり、「邪悪であって、悪い行いをする」という考え方や神学を変え、神の視野にそって適応していかなかればならないと言う事です。十字架の前から神は人類を愛していました。怒りの神が十字架で満足して今は良い神なのではありません。
ダニエル達が王の食事で自分が汚れるのではなく、野菜と水を食べる事を願い出た時に、神はご自身の好意を世話係にあたえました。私達は神に導かれていった場所でも「適切さ」や「受け入れられるため」に妥協する事無く、純粋さ、聖さを保ち、自分を聖別することを情熱を持ってする事が必要です。純粋さ、聖さを保つ事は「しなければならない」ことではなく「する事ができる特権」なのです。ダニエル達はネブカネザル王の下で訓練され、王宮で仕えました。この王は邪悪な王でしたが、神は目的があってこの4人の青年を送ったと自分は信じています、そして今現在も多くのダニエル達が神の目的の為にネブカネザル王の王宮の様な状態の社会の場所に送られているのです。しかし、私達信者はダニエルのような信者達の「ネブカネザル王の王宮で仕える」事を恥じ、教会の繋がりから追い出し、切り取り祈りやサポートを止めるのです。
なぜですか?私達は考えを変える事が必要です。

聖別できることの喜び The Joy of Consecration – Eric Johnson