詩篇73篇 
宗教の霊は、物事を極端に変えてしまう働きをします、その事から「繁栄」の話しをします。「貧困/持っていない」事が霊性が高い訳ではないです、貧しさは何の助けにもなりません。しかし、中世の暗黒時代にそのような考えができてしまいました。同時に「経済を多く持っている」事が霊性が高い訳でもありません。「お金」は敵が与える事もできるのです。
神が探しているのは、「神を愛しているので、世を愛さずにいる事ができ、その事によって「神の御国を一番に求め、世の人々」に仕ができる人達です。
詩篇73篇は「アサフ」が書きましたが、彼はダビデの世、そしてソロモンの世に移行した時に神の神殿でつかえる者達、彼らを司るリーダーであり、神の栄光の臨在が現実に現れる場所で働き時間を過ごした人でした。
73篇を書いた時、アサフは自分が正しい事をしているのに、悪人達が祝福されているのを見て怒っていました、たしかに主の祭司達は偶像礼拝をし、自分の王国を神の好意だとして建て上げていました。私達も同じような経験があるでしょう。祝福を求めるのは自然な事であり、それを求めないのは愚かさの影響を受けていると思います。
15節で「心にある怒りを口にして話すなら、私が仕えている神の子達を裏切ってしまう」といっています、これはこれは、励ましを語ることの原則が否定的な方に作用しているからです。そして17節では「神の聖所に入った、ついに〜悟った」とありますが、これは「臨在の中、自分のなかの聖霊の臨在だけでなく聖さのなか、礼拝の中で 現れる神の触れる様な栄光、臨在」の なかで「悟った」という事です。目が正しく開かれました。臨在の中だけが、物事を正しく見る事ができる場所であり、臨在の外は「欺かれる、ねじ曲げられる」事が実在するのです。

聖所の中で生きる Living in the Sanctuary – Bill Johnson