「隠れた所への召し」べニング レビスチャー師
第2列王記9; マタイ6、マタイ22 
私達はジーザスカルチャーという働きの為にレディングからサクラメントに移りました。しかし、以前はベテル教会のユースパスターでした。今日は「隠れた所で祈る事の召し」について話します。
私達は物語の一部だけでなく全体を知る必要があります。神の行っている物語り、神の物語もそうです。神が事柄を起こそうとしてる時に、必要としているのは優れた道具や組織ではなく神の召しに対して従う人達です、なぜなら、神の油注ぎは組織や建物に注がれる物ではなく人の上に注がれるからです。
神は勝敗を変える事のできる人々を探し、召し出し、油注ぎ送り出しています。マタイの6章では「隠れた所で祈りなさい」と描いてありますが、2列王記9章で預言者エリシャが若者を呼び、軍隊の長であったエフーに「奥の間に連れて行って油注げ」といったように、奥の間に連れて行かれる事、それは、「自分自身を周りの事と離れさせる」事だと思います。
「召される人は多いが少数の人が選ばれる」事があります。全ての人には召しがありますが、召された後、それに対して「はい」といって手を挙げ、従う人、隠れた部屋に行って祈り、周りと分かたれる事をした人が選ばれるのです。
隠された所での祈りで、神があなたに語り、油注ぎ、あなたはそこから送りだされるのです。

隠れた所への召し The Call to the Inner Room – Banning Liebscher