あかしとメッセージ
トレーシ 
4人の宣教師達は「なくすならば、保ち、受ける事ができる」事を実践し、一人の魂の価値をしっていました。また、キリストの十字架の光がそれぞれの人生の中の「世の富」を小さくし、遠い所に出て行って偉大な働きをしました。イエスは最初の宣教師です。天の栄光、美しさ、全てを捨て、小さな赤ちゃんとして来られました。しかし、手ぶらで来たのではなく、彼のうちに世界の宝、全て必要な道具は入っていました。

創世記26:1〜13 、ネヘミヤ5章、使徒の働き11:27〜30
今日は「ききんの時にどうするのか」という話しをします。2012年は、ある人には最上の年、ある人には飢饉のような状況だったでしょう。私達が「危機」を通るのは、人生をこの堕落した地上で過ごす時には、逃げる事はできないでしょう。それは、「人生」の一部ですが、その時に私達がどのような選択ができるでしょうか?
創世記26章、イサクは飢饉がある場所に導かれたが「その土地に種をまき、その年に100倍の収穫を見た」とあります、数倍でもすごいのに、100倍の収穫です。伝道者の書にあるのは、「天候を眺める人は決して種をまかない」とあります。外的要因に目を向けるなら、種くことをしないでしょう。
ネヘミヤはききんの中で「街」の再建をしました。教会の建物や、自分の邸宅ではなく、街を再建しました。
使徒の働きではアンテオケの人々は、自分達もききんがあったけれども、自分たちに福音を送ってくれた。ユダの人々に支援をした。ユダ地方がききんではなく、アンテオケもユダも両方がききんであった。「(ユダでききんがあるから(自分たちの所にも)ききんがあるが献金しよう」ということになった。
わたしはききん、人生の難しさを見る時に、そこに神の働くチャンスをみます。イエスが弟子達と船に乗っていて、嵐になり、船が沈みそうになった時、イエスが弟子に起こされ「だまれ、しずまれ」といって嵐を静めた後に「あなたの信仰はどこにあるのか」と言いました。それはイエスが弟子達が嵐を静める事を期待していたからだと思います。イエスは自分がした事を弟子達がする為に一緒にいて、訓練しました。私も、皆さんが行って、行う為に訓練しています。

飢饉の時に What To Do In Famine – Bill Johnson