Valuing the Prophetic – Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子

エズラ6:14、2歴代誌20:20

ある人は、「私は神の声を聞いたことがない、しかし主の平安がある」と言います。しかし、イエスは神の言葉が人になった方なので、その方の臨在には声があります。
そのようにして「臨在や平安」も神から聞いていることなのです。 

私達が目に見えない神を愛するという時に、目に見える兄弟姉妹を愛する事、信頼する事も重要な事です。
今日の教会の中に広まっている「私は神を愛しているし、周りの人々をもケアしている。基本的には自分と神で十分だ」という教えがあります。
イスラエルの民は、神を信じ、モーセを信じました。これは、神が人を同労者として共に働くものとして造っている事を現す必要があったからです。

ここに矛盾がありますが、これは必要でした。
神の主権、神の大きさを信頼する事の実践には、「神は私の必要を満たすために、私に繋がっている人を用いるし、私に人々を送る事もできる」ことを生きることが必要です。

2歴代誌の20:20には「あなたがたの神、主を信じ忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい」と日本語には書かれていますが、英語では「その預言者を信じ繁栄を得なさい」とあります。ここでも「神の言葉を聞いて、語る」預言者も信じ、繁栄せよとあります。

エズラ6:14でも「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイと、イドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。」とあります。 

私たちが自分のために神の声を聞くこと、聞けることは非常に大切であり、土台です。しかし、預言者をとおして聞くことがいらないという理由にはなりません。
また、預言者が私たちに語ってくれることを感謝しているのと同様に、私が神から自分で聞くことをしないという事にはなりません。

聖書に書かれた言葉であっても、聖霊がかたることであっても、自分が直接聞くことと、預言者を通して聞くことはコインの裏表のようです。両方が必要なのです。

ですから「自分は神だけでよい」としていることは、自分がいつも正しく、まわりが間違っている事としてしまう事であり、それは孤立を生み出す事です 
私たちはキリストの一つの体として、繋げられている「器官」なのです。互いを必要として機能するように造られました。 

2歴代誌20:20で、「繁栄を得なさい」とありますが、私たちは皆が神によって豊かに繁栄するためにデザインされました。ですから、私たちが繁栄を願うことは普通ですが、
祈り、願っている繁栄がすでに「神の言葉」によって与えられているけれども、私たちが神の言葉「聖書箇所・預言」に価値を見ていなかったらどうでしょう? 
私達は自分が思っている事、思い巡らせている事で何を大切にしているかを知る事ができます。
心配や、恐れは私たちの神への礼拝の場所を違法に使っているようなもので、神の言葉、御人格を思い巡らせ、その応答で礼拝する「心」を「心配する事」を思い巡らせる事で、神よりも心配が高く上がってしまっているのです。 

もし、あなたが自分は預言を受け取ったことが一度もないというなら、それも理解します。
しかし、聖書はあなたへの約束ですから、神が語ってくれるまで、読み続けてください。
主の息吹が吹き替えられたらその箇所に記し、あなたがそれを何度も思い出せるようにしてください。

英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/7818