Walking Humbly With Our God – Danny Silk

同時通訳:相馬伸子

ミカ書6:8、1ペテロ5:6、7、8
ある結婚式の動画を見ましょう。新婦の父が新郎に話す言葉なのですが、「私が人生を注いだ、自分が人にあげることのできる最善のものを(娘)をあなたに渡します」。
この愛と権威のある父は、謙遜に神様と歩いているのです。ミカ書6:8節はとてもシンプルですが、私は自分の人生を永遠を使ってこの事を歩んでいくのだと信じています。へりくだって神と歩む事は、私達が長らく一生懸命教えようとしている事です。へりくだるとは「人の事に関心を持ち、自分より他人を大切に考える、自分中心に考えない」事です。1ペテロ5章では「謙遜を身につけなさい」とあります。これは、謙遜さを洋服を着ているように、人が自分を見たときに真っ先に見るものとする事です。ジョンとベニジョンソンは私にとってこの事の素晴らしい模範です。彼らがどのように状況、問題、好意や祝福やチャンスを取り扱うかは、この「へりくだって」いる事がいつもありました。
へりくだるものに「恵みをあたえる」ともあります。コンクリートは乾燥し、硬くなると泡の残っていた所が乾燥してに穴として残ります。それによって古くなると劣化してしまいます。しかし、ある物質は、湿気を与え、穴に入り、劣化したコンクリートを硬める事ができます。それは、恵みのようです。私の人生の中の沢山ある「穴」は神様の恵みを引き寄るようです。そのままでは壊れてしまう状況に恵みが注がれて、すでにある「私の人生」という形が保たれ、そこから命が流れるのです。
イエス様の山上の説教でも「へりくだった」人は「幸い」と言っていますね。へりくだっている事は、あなたのアイデンティティーになり、あなたの「一時的な態度」ではなく、いつもあなたは「謙遜な人」として
存在します。あなたがへりくだっているならば、神の御国はあなたのものです。
へりくだって歩むことは、あなたの人格、人生がが現れる方法を変えます。私たちがよく話す「神の良さ、喜び、神の臨在、豊かに与えること、」それらは謙遜さの中にあります。
私達は「豊かに与える」ものですが、謙遜さは、「受けること」によって上位のものが下位になることをします。シバの女王がソロモン王に贈り物をもって、来た時に、全てを溢れるほどに所有しているので自分たちは受け取る必要がないとしてしまったら、女王は辱められ、関係は壊れていたでしょう。しかし、ソロモンは謙遜になり、受け取り関係を保ちました。
上位のものが謙遜であり下位のものが祝福することは、私達が神を礼拝賛美する時にも同じです。全宇宙の王を私達が「祝福」するのですか?謙遜な神でなければあり得ないことです。
へりくだることは助けが必要であることを見せることです。神に信頼しているのかという事です。神様への私の祈りのアプローチは「見せてください」「教えて下さい」「あなたが何をしているのかを聞かせてください」です。
へりくだる事は、自分の「今」だけでなく、長期にわたる神様の計画を見る事が出来る視野を持つ事です。

日本語音声:へりくだって神と共に歩む Walking Humbly With Our God – Danny Silk