ペテロの手紙Ⅰ 2:11 「愛する皆さん。この地上では、あなたがたは旅人であり、一時の滞在者にすぎないのですから、あなたがたのたましいに戦いを挑む、この世の快楽から遠ざかりなさい。」

あぁ、15歳の私はセックスが自分に与える影響を知りませんでした。そして現在それを知ってからの私は、敵の嘘を暴くことを使命としてきました。〜 敵が隠している秘密を暴くこと〜神の御心の外でセックスをしたときに、あなたが何と契約を結ぶことになるかを明らかにするということです。


私はとても簡単に処女を手放しました。 ー 何の抵抗もなく。その数分前、時間の流れが減速し、自分が選択できたことを知りながら、正直に「起こり得る最悪の結果とは何なのだろう。」と思い、肩をすくめながらも「Yes.」と答えた瞬間があったのを覚えています。一人一人の男性との霊的な契約について何も知らないまま、性的な罪の中に踏み出しました。性的な罪の霊的影響について完全に無知だったのです。

セックスは私のニーズをたくさん満たしました ー セックスは悦びを得るものとして創られたのだから、確かにそうなのです!

彼と一緒にいた時、私は彼にとっての全てであるように感じました。その瞬間、自分の感情的な必要は完全に満たされているように感じました。最高潮に思いました。

しかしその裏では、悪霊たちが歓声を上げ、私はすすんで束縛の鎖に身を委ねていました。そして彼氏が去ってから、霊的な領域で何が起こっていたのかを少し味わったのです。絶対的な空虚感。崖から深い穴に落ちるような、急降下。しかし、彼(または次の男性)と再び一緒に居ると痛みは消え去るのです。少なくともその瞬間だけは。

自分が「人生における悪魔の意図」の中を歩いていることを知ることになりましたが、悪魔が私をどれほど忌み嫌い、私の圧倒的に破壊し、死以外に何も望んでいないという真実までは知りませんでした。 

その間、私の両親は私の人生に対する神の計画と御心を祈っていました。そして神は背後で山を動かしていました。突然、神の声が聞こえなくなっていた私の心の中に、再び神の声が聞こえてきました。私の創造主、私を完全に永遠に無条件に愛してくださっている方の声を聞くことができたのです。

神は私を新しい場所に導き、再び出発させ、洗い清め、再び完全な者にし、私の鎖を断ち切って下さいました。主の水が私を完全に純粋なものへと洗い清めてくれました。全てのシミが洗い流されました。私は主が望むように生きたいと思いました。神は性的な罪に囚われている人たちに神の愛を分かち合うように語りました。

それから1年ほど経って、私は夫となる人を見つけたと思いました。しかしある夜、私たちは間違いを犯してしまい、私は再び鎖につながれた状態になってしまいました。私の壁(誘惑に抵抗する決意)はまだ非常に弱く、なぜNoと言わなければならないのかを理解していませんでした。Yesと言うことは私に多くの利益を与えましたが、Noと言うことは、最終的には治ってなくなってしまう罪悪感だけを与えました。或いは私自身がそう思っていました。私たちはこの関係を清いものに戻そうと試みましたが、既に道が出来てしまっていたので、その壁にはあまりにも多くのヒビがありました。その関係が終わってしまったとき、私は打ちひしがれました。私の希望は崖の底で粉々になっていました。それから私は、自分の人生の希望を「イエス」ではなく、「夫という存在」と「結婚」に置いていたことに気づきました。この別れの余韻の中で、私は目の前に十字路を見ることができました。イエスが両手を広げて一方の端に立っておられ、悲嘆に暮れて痛む私の心に愛を注ぎ、認識できないほどに砕け散った希望のかけらを拾い上げようとしているのが見えました。主という完全に信頼でき忠実な唯一の方に、私が真心で信頼し希望を託すように、イエスは求めておられました。

しかし、私は別の方向に惹かれるものを見つけました。即効性がある、痛みからの逃避方法です。男性と一緒に居て彼の注意が私に集中していれば、全ての痛みは消えているように思われました。そして私の注意はその彼に向けられていたので、自分の体に鎖が巻かれ、冷酷に罠が私の足を締め付けていることがわかりませんでした。

再び一人になると、ああ、自分がしたことに対する苦悩と悲しみが襲ってきました。一人になった時、人間が感じるはずのない虚しさを感じました!セックスは、一時的な繋がりのためではなく、互いに愛し合い、約束し合った1人の夫と1人の妻の結婚関係の為のものなのです。 私は彼と一緒にいた何人かの女の子のうちの一人でしたが、実際には彼の心は彼の仕事に結ばれていました。私たちはこの関係に先がなく、お互いに二度と話さえもしなくなる日が来ることを知っていました。

私たちは結婚関係にある二人の寝室においてのみ祝福される、全てをさらけ出し、信頼を持って心も体も完全に開かれた行為を模倣していたのですが、それは偽りの親密さでした。

この行為を守り、祝福する神の境界の外で、私たちは何もかもさらけ出し、心から血を流すことになりました。 神の意図された美しいセックスとはかけ離れたものでした。

私の罪は神から与えられた性の境界線を完全に踏み荒らし、私の心と魂、私の存在自体がその時期、完全に開け放たれた状態でした。解決策は全くなく、私にはもう「No」という選択肢はありませんでした。

必死に、神に助けを求めると、神が私を助けに来てくださいました。私は一年間を神に捧げ、心、魂、アイデンティティの残骸を拾い集めました。その年、私はあらゆるものから自分を断ち、私の人生の絶対的な主権を神に委ねました。ああ、あの年。それは奇跡の年でした。私の罪が作り出した荒廃の中を神が愛を持って歩んでくださり、全ての心の穴が塞がるまでギザギザに裂けたその心に、神は愛を注いでくださいました。大きな痛みを伴う年でもありました。性的罪によって短絡的に癒しを得ていた私の人生の痛々しい悲しみの一つ一つを神は私と共に歩いてくださいました。その過程の中で私の手はいつも神の内にあり、神が私から離れることは決してありませんでした。

これは新たな清めでした。イエスが私の罪のために流された血で私は洗われました。罪はいつも私の前にありましたが、イエスが十字架で死なれた時、すべての罪の代価を支払われたのです。私の目は開かれ、初めて十字架で起こったことの重大さを知りました。イエスの血は私を雪のように白く洗い流してくださいました。神の目にうつるイエスの義に身を包んだ私の罪は完全に忘れ去られました。神は汚れたボロ布を海に投げ入れ、まるで一度も罪を侵したことが無いかのように、私に白い衣を着させてくださいました。イエスは私の考えを新たにし、記憶を洗うプロセスを始めてくださいました。 神は2年間、私を翼の下に隠してくださり、私の純潔の領域を再び築き上げてくださったので誘惑から守られました。神は壁を修復されました ー 開いている扉をすべて閉じ、粉々になった石をすべて取り替えられました。神は完璧なやり方で私に純潔の壁を高く築き、完璧な時に美しい結婚の契約に開かれるのを導いてくださるでしょう。

独身時代が想像以上に長く続いたため、神を信頼し続けるか、すべてを投げ出してしまうかを選択する機会がありました。しかし、私はもう教訓を得たのです。性的な罪の真実を知ったのです。何があろうと、私は自分の性において神の完璧な計画を選ぶことにしました。なぜなら神の計画だけが私に命をもたらすからです。神の計画に対抗するものは何でも、私に絶対的な死をもたらします。私はその死をすでに経験し、もう二度とその道へと迷うことは出来ません!たとえ神の時期や方法が分からなくても、私は神に従うことを選びます。なぜなら神の命令は私の益、祝福、そして「命」のためにだけ存在していることを知っているからです。