パーソナルチャレンジ#13:荒野、パート3

ああ神よ。鹿が水をあえぎ求めるように、 私はあなたを慕い求めます。 焼けつくような渇きを覚えながら、 私は、生きておられる神を求めています。 どこへ行けば、お目にかかれるのでしょうか。 昼も夜も涙にむせびながら、 神の助けを祈っています。 かたわらでは敵が、 「おまえの神はどこへ行った」とあざけるのです。・・・
どうしてそのように沈み込む必要があるのか。 どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。 神に望みを託すがよい。 そうだ、助けを信じて、 もう一度神をほめたたえよう。・・・
神のさかまく大波が私の頭上を越え、 悲しみの洪水が、とどろく大滝のように 降りかかってきます。 しかし主は 日ごとに変わらない愛を注いでくださいます。 私は夜通し賛美の歌を歌い、 このいのちを授けてくださった神に祈りをささげます。 「ああ、岩なる神よ」と、私は叫びます。 「なぜ、私をお見捨てになったのですか。 なぜ、私は敵の攻撃にさらされて、 こんなにも苦しまなければならないのですか。」 人のあざけりがこの身を突き刺し、 深い傷を負わせます。 彼らは、「おまえの神はいったいどこへ行った」と あざ笑います。 しかし、私のたましいよ、 気落ちするな。動転するな。 神に期待せよ。 神がすばらしいことをしてくださり、 私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。 このお方こそ、私の命綱、私の神。
詩篇 42:1-3,5,7-11


「他に誰もいなかったとき、そのただ中で、あなたが十分であることを教えて下さいました。」

その間、私は周りの人々が神に耳を傾けていたことに感謝しています。「荒野」に至ることになった私の悩みに対して、彼らは直接イエスに行くように言いました。 正直、初めてイエスに直接行くように言われた時は、ショックで傷つきそうになりました。 自分一人で?と。 人に見捨てられたと感じました:私が頼りにしていた人間関係。私にたった一人で、聖霊に会いに行けというの? 私はどうせ一人です! 私はそこにとてもこだわっていました。

しかし、それは私にとっての最高のアドバイスでした。 なぜならそこでイエスを見つけたからです。 主は私の必要の全てに出会って下さいました。私の霊が強められ、自分が完全に愛されていること、神は霊の中でいつも共にいることを知りました。それは少しづつ物理的な世界にも流れ出しました。私は霊だけでなく、現実にも強められ、愛され、一人ではないことがわかりました。人に、「あなたは一人じゃないよ、イエスはいつもあなたと共にいるよ」と言われる度に、私は「そう、私は一人じゃない、私は一人じゃない、一人じゃない」と何度も言いさえすれば、自分の直感ではそうは思えないその真理を信じることが出来ると思いこんでいました。しかし本当の意味で悟り、真理を知ると、もう自分を信じ込ませなくてもよくなりました。時々そう感じられない時は、それを信じる選択をしなければいけません。でも本当の意味でその真理を知った今、信じる選択がしやすくなりました。

私の中の神の位置が変わりました。 ナンバーワンへ。 どのようにそれが起こったのか、はっきりは分かりませんが、それは荒野で起こり、他の誰にも神の代わりをしてほしくはありません。荒野はイエスとの深い関係を学べるところ。困った時に逃げる相手がいる時に、私たちが神との深い関係を求めることを妨げてしまいます。人生は時々私たちを完全な孤独に連れて行きます。神はそれらの時間を用いて、私たちを主だけを見つめる場所に連れ出します。そうするしかないのです、そこには主しかいないのだから。そして私たちはそこで学んだことを人生の満ち足りた季節にも活かすことが出来ます。神が私たちのナンバーワンであり、十分な存在だということを。


荒野を旅する間も導いてくださったお方を、
ほめたたえなさい。
その恵みは絶えることがありません。詩篇 136:16

「だが、わたしは再び彼女をくどいて
荒野に連れて行き、やさしく語りかけよう。
そこで彼女のぶどう畑を返し、
アコル(『苦しみ』の意)の谷を、望みの門に変えよう。
彼女はそこでわたしに答え、
喜びにあふれて歌うようになる。
まだ彼女が若かったころ、
わたしが彼女をエジプトの奴隷から
解放した時のように。
主はこう言います。
「来ようとしているその日には、彼女はわたしを
『私の主人(バアル)』とは呼ばず、『私の夫』と呼ぶようになる。
[…] 正義と公平、愛とあわれみの鎖で、
永遠にあなたをわたしにつなぎとめる。
真実と愛をもって、あなたと婚約する。
その時、以前とは全く違って、
ほんとうにわたしがわかるようになる。
ホセア書 2:14-16;19-20

パーソナルチャレンジ:
あなたは今、荒野の時期に居ますか?それとも、もっと恐ろしい質問ですが、神の中にのみ必要なものを見つけるために、全てを剥ぎ取られる荒野に、神の霊に導かれ入って行きたいですか?それは私の人生の中で最も困難な季節の一つでしたが、一時的ではなく継続的に、今までより神に近づいた季節だったと思います。私は永久に変えられました。神に導いてもらって下さい。神からの貴重な贈り物は、荒野の季節の中にあると確信しています。

主は私を豊かな牧草地にいこわせ、
ゆるやかな流れのほとりに導いて行かれます。
詩篇 23:2