匿名の記事です。

ポルノを見ながらマスターベーションをする(または頭でそういう事をイメージしながらする)ことについては、聖書には明確に書かれています。マタイ5章27-28節で、イエスはこう言われています。「あなたがたの教えでは、『姦淫してはならない』とあります。 しかし、だれでもみだらな思いで女性を見るなら、それだけでもう、心の中では姦淫したことになるのです。」
じゃあ、情欲に溺れないマスターベーションはどうでしょう、全ての思いを虜にしながらのマスターべション(コリント人への第二の手紙 10章5節、訳者意訳)。このことについて話してみましょう!これが独身の私が持つ、マスターベーションについての見方であり、私がマスターベーションをしたくない理由です:

  1. マスターベーションは、セックスを利己的なものにしてしまいます。世の中は、「男たちはこれをずっとしてきたんだから、今度は女たちの番だ!」とあたかも女性の特権として、もてはやされているかのように見受けられることもあります。神は人々がお互いから奪い合うためにセックスを造られたのではありません(残念ながら、これが現在の一般的なセックス観です。なぜなら、世のセックスの在り方は、神の目的とはかけ離れてしまっているからです)。むしろ、セックスは、お互い(夫婦)が与え合うことを目的として造られたのです。夫婦の親密さと愛の表現として、互いを喜び合い、他にはない唯一のパートナーとしてセックスを楽しむために。
  2. マスターベーションは、セックスを傷や否定的な感情からの逃げ場にしてしまいます。孤独、疲れ、退屈、悲しみ、ストレスなどがある時にマスターベーションをすると、中毒になりやすくなります。あなたの脳が、オ-ガスムは痛みの逃避であると認識させ、「痛みを感じるときはいつでも、すぐに治療法がある!」と思わせてしまうのです。
  3. 私はマスターベーションをした後に虚しさを感じるのが嫌なのです。神はセックスを、一人でベッドにいながら絶頂を迎えるようには造られていません。セックスは、その前であっても後であっても、(夫婦の)親密さをあらわす一部として造られたのです。
  4. マスターベーションはセックスへの欲求をかき立てます。私は独身で、神の指示に従って生きたいので、性欲を目覚めさせたくありません。リサ・ベヴェレ(クリスチャンの作家でコミュニケーター)は、在るべき時以前に目覚めたものは何でも、眠らせる事ができると言っています。例えばあなたがたくさん唾を吐くと、口からもっと唾液が増え始めます。髪を洗う頻度が高いほど、頭皮により多く油分が排出されます。(メディアでのセックスのシーンを見たり、空想したり、マスターベーションを通じて)セックスへの欲求を掻き立てるほどに、あなたは飢えを感じるでしょう。セックスへの欲求が眠りに落ちるとき、私は欲求不満ではなく満足を感じます!
  5. マスターベーションへの扉が開いているときは、必要のないときにでもしてしまうものです。先にも述べたように、それは長期の幸福を与えてくれるものではありません。そんなわけで私はマスターベーションへの扉を閉めたのです。

そして、マスターベーションのドアを閉めることを選択しても、あなたが閉じた部屋の中に閉じ込められ、欲求不満で困窮しているという意味ではありません。いいえ、ドアを閉め、反対側に踏み出すと、そこに何があったのかがわかりますー広く開かれた扉ー神の心。大きく開いた牧草地、神の心の無限の深さに飛び込み、そこであなたは必要なものすべてを見つけるでしょう。

主は、美しい谷川と青々とした牧場を、
分け前として頂けるようにしてくださいました。
なんとすばらしい相続財産でしょう。
私の助言者である主をほめたたえます。
夜になると、主は知恵を授けてくださいます。
どうすればよいかを教えてくださいます。
私は、いつも主のことを思っています。
主がすぐそばにいてくださるので、
つまずいたり、倒れたりする心配もありません。
心も体もたましいまでも、喜びにあふれています。
神は私を死人の中に置き去りにせず、
墓の中で朽ち果てるのをお許しにならないからです。
神は生きる喜びを教え、
永遠に共にいてくださるという
無上の喜びを経験させてくださいます。
詩篇 16:6-11

安全な場所へと連れ出してくださいました。
私を喜びとされたからです。
詩篇 18:19

私を敵の手に渡さず、
見通しのきく有利な場所へと移してくださいました。
詩篇 31:8


神が人間を性的な存在として創造されながら、ある人々をとても長い期間、独身のままにしておく理由を理解できますか?そんな時、性欲について、何ができますか?性欲を自制しながら豊かに生きるためにどうすればいいでしょうか?

シングルの間にセックスを控えるための一つの大切な理由は、あなたのセックスの欲求を自制することを学ぶことです。貞操を守るとは、性欲があなたを支配することがないように、自制を身につける時間です。

自制心がなく、管理されていない、なんの拘束もない性的衝動は、おそらく最も破壊的な暴力の1つです。

多くのクリスチャンは、結婚したら性における問題のすべてが解決されると信じています。しかし現実は、自制という難しい選択を今、学ばないなら、現在のあり方が、結婚初夜もそれ以降にも全く同じ形で続いていくのです。

独身のあなたが自制しきれない性的衝動を必死に歯を食いしばって、なんとかやり過ごし、「救い」は結婚式の初夜に訪れると信じているなら、要注意です!独身の時に自制できず、管理されず、拘束できない性欲は、結婚してからも続き、不貞行為を起こしたり、配偶者との強制的なセックスなどの壊滅的な状況となって現れる可能性があるのです。

あなたが独身でいる時も、体のすべての部分(例えば舌など)を自制すべきなのと同じく、性欲も自制し、イエスの主権(ローマ6:12)に従う時なのです。それは不可能だと思いますか?私たち以前に、その欲求に勝利した完全な人がいます。イエスはこの地で生涯を通じて独身でしたが、罪を犯したことはありませんでした。それどころか、完全であり、足りないところがありませんでした。


女性の場合、ひと月の間の特定の時期、特定の年齢の間に、ホルモンの関係で感情が高まることがあります。これは私たちの生理学的な事実です。私は性欲を眠らせるためのいくつかの方法を学んでいます:

私は性欲を眠らせるためのいくつかの方法を学んでいます:

  • 私はセックスシーンを見ないことを選びます。これらは、普通のテレビ番組でも突然始まることがあります。保護者用ガイダンスをさらっと見て、(ガイダンス自体が結構刺激が強い時もあります)それでその映画を見るかどうかを決めます。性欲が目覚めない方が良いので、わざわざ覚醒させるようなコンテンツは避け、そういうシーンを見ないようにしておきたいのです。
  • 私はセックス、性、さらには恋愛関係についての話題に対する自分の限界を知っています。性は恥ずべきことではなく、クリスチャンは敬意を持ってそれについて話すべきですが、あまりに過激すぎて、性欲が目覚めてしまわないように、自分自身の限界を持っています。その限界が近づいている時は恥ずかしがらずに周囲に知らせ、その会話から離れます。

性欲が強くなってきたと感じる時、それでも自慰行為をしたくない場合、方法があります:

  • 環境を変える。身体を動かしたり、外に出て散歩したり。
  • 神の完璧な計画に感謝しましょう。神はあなたの性的な部分もを創造されましたーそれは罪ではありません。また、あなたがどのくらい独身でいるかを知っています。神は驚かれてなどおらず、あなたが歩んでいけるよう道を備えてくださっています!

あなたの性は恥ずべきものではありません。その部分も神に委ねてください。 「神様、私のホルモンが今、活性化してきています。どうか情欲に走らないように、ホルモンをしずめてください。(聖書の中で)パウロは、独身であることは素晴らしいことだと言っています。人が独身であるとき、人の愛情は完全に神だけに向けられるものとなるからです( 第一コリント7:35)でも、あなたは結婚と性の概念も造られ、それも良いと言われました。独身の間に、あなた誰よりも愛し、結婚してからもずっとその初めの愛を失わずにいたいのです。そうさせてください。あなたをもっと深く知りたいのです。そして結婚の計画を持っておられるなら、あなたの一番良いタイミングで備えさせてください。」