天のお父さんが言われます:
わたしは、イエス・キリストを通して、人間として生きることをすべて経験しました。
「わたしは、赤ちゃんとして生まれ、普通の人間の子供として育てられた。」
「疲れた時もあった。」ヨハネ 4:6
「空腹の時もあった。」マルコ 11:12
「イライラして、怒った時もあった。」マルコ 10:14
「悲しい時もあった。」ヨハネ 11:35
「わたしは、悲しみの人で病を知っていた。」イザヤ 53:3
「のけ者にされたことがあった。」イザヤ 53:3
「自分の家族、兄弟姉妹にも誤解された。」ヨハネ 5:7
「自分の作った世界に入ってきて、自分の民に拒絶された。」ヨハネ 1:10-11
「一番必要な時にも、友人の皆に捨てられて、一人残された時もあった。」ヨハネ 16:32
「それだけではなく、わたしの親しい友人に、口づけで、裏切られた。」ルカ 22:48
神様と聞くと、どんな方を想像しますか?山の奥の秘められた建物の奥の方に、一般公開されることもなく、ひっそりと隠れて祀られてるお方?雲の上、遥か彼方に遠く離れていて想像もつかないお方?
イエス・キリストを通して、全能の神様が、私たち人間のすぐ近くまで来てくださいました。
何千年前に、ダビデ王がこの詩を書きました:
「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」詩篇 10:1
しかし、イエスキリストの後に、この言葉はもはや言えません。
神様は、遠く離れていません。
神様は、身を隠されることはありません。
イエスは、王様として生まれなかった。
普通の人間として、ベツレヘムの馬小屋に生まれました。
イエスは、人々が羨む名声や権力を持って生まれたのでもありません。。
普通の人間でした。
イエスは、神様なのに、わざわざ人間が経験するすべての悲しみと苦しみを選ばれました。
難民のように、生まれて、
犯罪人のように、死なれた。
だからこそ、全人類と完全に同感できます。
神様は、もはや遠いお方ではなく、近くまで来てくださいました。
今日の探検
今日は、この簡単なことを覚えましょう:
『イエス・キリストは、わたしのためにも、わたしとしても、すべてを経験して下さいました。』
オプション
お時間ある方は、続けて下記の聖書箇所も同じように読んでみてください。
そこにも、神様があなたの為に語って下さる何かがあるかもしれません!