「平和をつくるものは、幸い」収穫のビジョン

1987年にリックジョイナーに与えられた収穫のビジョンより

このビジョンはすこしずつ、何年の間に成就されていくことを理解して頂きたいと思います。この出来事のタイミングを分かりませんが、あるのはすでに成就さ れ出されている事は明らかです。完全に成就されるのは 5年間か、50年間がかかるか、私は分かりません。波の間には静かになる時もあるようです。時が近 づくと、この「陣痛」はより強く、より多くなってきます。また、この出来事のタイミングは、すべてのキリストの体の中で、同じ時にくると思いません。

注意のことばを言わせて頂きます。このビジョンには驚くべきことがあるし、時が近づくとより盛り上がって行きます。こういうビジョンが見える人、理解でき る人は、自分の働きが良いのか、それとも無くなるのか、疑問をすべきだと思います。このビジョンがあっても、なくても、多くのキリストの体の働きを疑問す べきだと思いますが、多くの現在はあるが、後ほど消え去る働きは収穫の準備の役割を果たしています。どんなビジョンででも、大きな変化をすることは危ない です。

このビジョンは、主が既にその民の間の準備の働きをなさっておられる事を励ましとなるだけです。与えられた働きを心尽くしてなさって下さい。主に留まって いるなら、今度くる変化は、現在の働きの破壊ではなく、その働きの素晴らしい成就となります。キリストが律法を成就されたときに、律法は過ぎ去ったが、栄 光のなかで過ぎ去りました。イエスが律法を成就された時に、やっと律法の本当の目的が分かって来ました。今度の主の新しい働きの中で、多くの古い働きは過 ぎ去りますが、本当の主の働きでしたら、栄光の中で過ぎ去ります。

このビジョンの中で、収穫の後のことは見えませんでした。収穫の後のことは、一部を理解しているだと思いますが、それは私の御言葉の解釈によることです。 しかし、このビジョンの中でしめしていただけなかったので、ここでは書きません。このビジョンは、御言葉を通して確認は出来るだと思いますが、主がこのビ ジョンを読む人が個人的に語られますように、ここで沢山は書きません。

第一部

もうすぐ主の御霊の大いなる注ぎがあると、主がその預言者にお示しになりました。以前のリバイバルより偉大な働きとなります。このビジョンの中で、後に来 る収穫の特徴と、そのための現在の準備の働きが示されています。

この注ぎによって教会も、世界も多いに変わっていきます。歴史上最高の出来事となり、その中で用いられる方々は、このことを理解しなければなりません。主 を切に求めて、御心に従う人には、これは大きな転換とはなりません。こういう人には、自然の聖霊の流れの中で、主との親密な関係が深くなり、主の光に近づ きながら、このようなことが起こってきます。変化を抵抗する人、または飢え渇きのないクリスチャンには、このような変化はとても難しい時となります。是 非、このビジョンの内容を祈りながら、考えていて下さい。あることは、今すぐ理解しなくても、将来に思い出す事によって、とても平安と信仰が与えられると思います。

後に来る収穫のために、主がその収穫を受けれる大きな霊的な魚釣りの網を作っておられます。この網は、主の人々の繋がり(関係)によって出来ています。網 の中の結び目は、その人々の関係を現しています。その関係、またコミュニケーションが強ければ、強い程その網も強くなります。既成の教会の間の関係だけで はなく、いろいろな世界中の主の働きやミニストリー、教会の間のことです。エペソ 4:15-16の中でこういう原則が見えます。

「… あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量 にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

この「結び目」は、部分ではなく、二つ以上の部分が繋がっている所です。今既に、この結びあわせられることが始まっていますし、今からよりすべてのレベル に増えていきます。

御霊が多くの牧師が牧師と会い、預言者が預言者と会い、使徒が使徒と会い、またある地域の中の教会全員が別の教会と会っています。これは主の御手によるこ とです。ある働きは、「実が結ばない」ように見えますが、結び目は出来て来て、実が結んできます。もうすぐ、このような集まりの中で主のご臨在は下って来 て、主との関係、互いの関係を妨げるものは全部溶けて来ます。そのご臨在よって、詩篇133のような一致をもたらす礼拝が生じます−頭に礼拝の油を注ぐ と、それが衣に流れて、体全体が覆われます。

主は、リーダーの間で初まった、また一番強く立っている壁を壊し出されています。リーダーの間の壁が崩れると、体全体が流れあうようになります。リーダー がこの主の働きを抵抗すれば、主が直接その教会の中で働かれます。牧師の抵抗と反対があっても、いろいろの教会の信者の間の関係が強くって来ます。ある牧 師、リーダーは続けて主の一致の働きを抵抗していけば、取り除かれて来ます。あるのは、心が固くなって主の働きを終わりまで抵抗して行きます。殆どは、そ の抵抗を悔い改めて変えられていきます。

この収穫の大きさによって、この網は何度も破られて、常に修理する必要となります。現在の教会の間の不一致の中で、一致の働きをされている人は、このこと によって整えられて、収穫の時に、この偉大な「網」を修理する役割は与えられます。この「平和を創る人」は、網の制作の大きな役割となり、このリバイバル の全体の成功に大きな影響を与えます。常に、人間関係の摩擦の中に居られる方は励まされてください。この大いなる収穫の働きのために準備が整えてきます。

以前の神様の働きのために多いに用いられた人の中で、ある人は神学的に堅くなりすぎ、また霊的な「イシュマエル」(本物以外のもの)に取り囲まれてこれか らの主の働きに用いられることはできません。その中のある人は、主の働きに参加しょうとしますが、人間関係が浅いので、収穫が来ると、その「網」から破れ てしまいます。神学によって、または「牧師等を教祖化すること」によって結ばれている人はすぐ「網」から取られてしまいます。イエスによって、またイエス を通して結ばれた人だけが、この収穫と一緒に来る教会への圧迫を耐えることができます。(コロサイ 1:17)多くの人が救われる喜びも教会に与えられますが、同時に多くの問題やストレスが教会とその牧会者にも襲って来ます。この圧迫を耐えるために、人 との間の一致の綱(つな)が非常に大切です。主のくびきを負わず、自分で重荷を背負っている人は疲れ切って来ます。主の「安息」に入ることはこの収穫の準 備の時期のために、大いに強調されていきます。

多くの「クリスチャン」と呼ばれている人、または「聖霊に満たされているクリスチャン」と呼ばれている人であっても、実際はまだ救われていないのです。彼 らは、教会、カリスマ性のある教祖的なリーダー、または神学論に導かれただけです。その中の多くは、自分が網の一部だと思いますが、実は収穫の一部となり ます。このような人は、正しい土台となるイエスの上に新しく生まれ変わっていきます。これらの中には多くの有名な牧師やリーダーもいます。彼らの謙遜とへ りくだりによって、多くの人々は自分の信仰を考え直して、主との関係を強めていきます。キリストの体全体はこの事を通して励ましを受けます。

一時、ある時期に主の定めによってできた団体であっても、多くの宗派、教団、団体などは、主が作っておられる大いなる「網」に結ばれていくために自分の団 体を離団します。この新しい主の働きの力や充実さによって、ある以前からの関係は自然に消えていき、忘れられていきます。しかし、ある人にはこの時期の間 に、主の働きを理解できない人によって迫害や拒絶を受けてしまいます。しかし多くを失った者は、その何倍の報いを受けます。

自分の団体が神の働きと一致していないと分かってきたあるリーダーは自分から離団します。また、あるリーダーは自然に離団するようにさせます。最終的に、 独立しているアイデンティティーを持つ団体は全部分解されていき、この収穫に用いられるクリスチャンとしてのアイデンティティーだけになります。地域や町 ごとに、一致を持った「長老会」が出来て来ます。この「長老会」は色々な背景から来る牧師やリーダーから出来ています。この「長老会」、またその地域の教 会の目的の一致や調和によって、世の人々はが感動します。このような「長老会」には優れた知恵や見分けの霊が与えられますが、キリストがその教会の絶対的 な頭であることが認められます。来たるべき収穫は人や団体が管理できないような規模になります。

この収穫の準備の目的は、「離す」ことではなく「結ぶ」ことです。教団や団体の離団なることは、その忠実であるしもべたちのためにとても楽しい、興奮を起 こす動きとなります。何かを失う事よりも、より素晴らしい働きの始まりとなります。主ご自身よりも、主の働きを愛する者には、難しい時となります。しか し、彼らも主の偉大な油注ぎによって自由にされます。古いものを攻撃し、破壊しようとする人は主からの者ではありません。時には、教会の中に破壊を起こし て、躓かせるものも出て来ます。裁きや解放をもたらすために、神様に遣わされたと自分では思っていますが、本当のリーダー達は「見分け」をもって、その 「躓かせるもの」を取り除くべきです。

この躓かせるものとは別に、主は「ピネハスの霊」に属する多くの預言者、教師、牧師、使徒などを立ち上げられます。エルアザルの子なるピネハスは、主の陣 営に罪を許すわけにはいきませんでした。同様に、このピネハスの奉仕によって、多くの教会、時には国全体が世界に攻撃して来る災いから救われます。この人 々は主の民の聖さの故に、主の「ねたみ」によって奉仕をします。彼らは、「躓かせるもの」が破壊するとは違って、主の働きを守るために遣わされて来ます。

1993発行 モーニングスター出版 「燃えている世界」(英語版)からの引用
(3部はありますが、こちらには一部だけ出します。)

Photo by Conor O’Nolan on Unsplash