前回は、私が自分の弱さを認めるこ
とができるようになり、ありのまま
の自分を受け入れれるようになった
事をシェアしました。
聖書にこのような言葉があります。
「真理はあなた方を自由にします。」
真理の力は本当に大きかったです。
「あなたは愛されている。
ありのままで、あなたの存在は尊い。」
この真理が私の心に届くまで、私の
自己像や価値観、思考パターンや
行動パターンなどは、全てかつての
私を縛っていた嘘に基づいていました。
その嘘から解放されてから、特に私の
思考パターン、そして行動パターンに
その変化が明らかに見られるように
なりました。
真理を知る前と後、
ビフォー&アフターの数々…
と言っても、今さらビフォーに光を
当ててもしょうがないので、アフター
について、そのいくつかをシェアしま
すね。
自分と人とを比較しなくなった。
(これが、結構しんどかった…)
人が自分のことをどう見ているか、
あまり気にならなくなった。
(人によく見られたい!の一心
でしたから…)
「できない!無理!」が言えるように
なった。
できないのを自覚した時に「助けて!」
と他人に頼めるようになった。
弱さをさらけ出して、自分のことを
正直にシェアできるようになった。
この最後のポイントは、人間関係を
深めていくのに必要不可欠ですね。
英語では「vulnerability」と言います
が、日本語に訳すと「脆弱性=もろく
て弱い性質」のことです。
社会学的に言うと、傷つく危険をおかし
ても、自分自身をさらけ出す勇気を持っ
ていることです。
この弱さが、実は力なのです!
私が恥を捨てて、自分の悩みや葛藤を
赤裸々に分かち合うと、こう言う反応を
されることがよくあります。
「え、綾さんでもそんなことで悩んで
るんだ、じゃあ、私だけじゃないんだ!」
「え、綾さんでもそんなことで葛藤す
るんだ、じゃあ、私が悩んでることも
変じゃないんだ!」
そして、その後、自分の悩みや葛藤を
シェアしてくれます。
「綾さんでも」と言うのは、私が凄いの
でも何でもなく、人間なら誰でも、みん
な弱くてもいいんだ!それをシェアして
も、大丈夫なんだ!と言う発見をされ
て、改めて驚いておられるのです。
と言うのも、なかなか、そう言うことを
みんな分かち合わないのです。
みんな、「ちゃんとできてる」風に
しか、振舞わないのです。
ですから、みなさん、Vulnerable=
弱さをさらけ出して、本音で分かち
合いましょう。
大勢とやらなくていいです。でも、心を
許せる誰かと、まずは1対1で。
特に、年上の人から、まず先に弱さを見
せましょう。本音で語りましょう。そし
て、年下の人にも、自分をさらけ出せる、
安全な場所を確保してあげましょう。
心を割った、信頼関係を育める基盤が生
まれますよ。
そして、このVulnerableな心こそが、実
は、神様がとても喜ばれる心の状態なん
です。
マタイの福音書にイエス様が大勢の群衆
に向かって教えを説かれた有名な箇所が
あります。
「山上の垂訓」と呼ばれる箇所です。
イエス様がここで幸いだと認めておられ
る人々は、
心の貧しい人、
悲しむ人、
柔和な人、
義に飢え渇いている人、
哀れみ深い人、
ののしられ、悪口を叩かれ、迫害されて
いる人
なぜ、この人たちが幸いなのでしょう?
彼らは皆、自分の弱さ、もろさを認め、
自分の足りなさを思い知らされた人たち
だからです。
だから、彼らは、神に依り頼むことが
できるのです!
このことをパウロもコリント人への手紙
の中で語っています。
「私は、キリストの力が私をおおうため
に、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇り
ましょう。」
第二コリント12:9
私たちが自分の弱さを喜んで誇ることが
できるのは、その時が、神の力を受け取
るための絶好のチャンスだからです!
ここからが、実は本題です。
あなたに、神でしか不可能な領域への
招待状が手渡されるのです!