『イエスの生き方に学ぶ』シリーズPart.5 – 弟子を作ることを学ぶ

リンスコット綾

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

マタイ28:1920、イエス様が十字架の死から復活され、弟子たちの前から天に挙げられる直前、弟子たちに最後に残された言葉です。

私の主人、オンファイヤーのビデオでいつも皆さんへお話をしているジェフさんですが、ニュージーランドから日本へ宣教師としてやって来て、今年で25年になります。宣教師の方々の多くは、彼らの働きの成果を測る基準として、自分を送り出してくれた母教会のみなさん、また、その他、様々な形で自分の宣教活動を支援してくれる方々に、日本での宣教活動の報告をする場合、そのレポートには、幾つの教会を開拓したか、今、幾つの教会を牧会しているか、また、その教会には、何人の信者が集っているか、一年に、何人の人が救いを受け入れたか、、、などなどが、そのレポートに記されるはずです。レポートとして、数値で示しやすいという理由もあるでしょうが、イエス様が先の命令の中で語られた言葉には、教会を建てる、また運営するという項目は含まれていませんね。

イエス様が言われていることは、はっきりしています。「弟子を作りなさい。」

教会を開拓したり、牧会したり、また、人を救いに導くことが間違っていると、言っているのではありません。

とても大切な働きです。

でも、少なくとも、イエス様の大宣教命令に記された弟子を作る、という目的から外れて、教会を運営したり、人を救いに導くのは優先順位が違いますね?

弟子を作る過程、そのプロセスの中で、人は救いを受け取り、そして、主が建てられる教会の一員として、成長させられていくべきです。

それも、どんな弟子を作りなさいと言われていますか?

イエスが命じておいたすべてのことを守ることができるような、弟子を作るのです。

そして、そのように教えられた弟子は、また、次の弟子を作ります。

この命令が、すべての信じるものに託されているからです。

宣教師や牧師、リーダー達だけが教えるのではなくて、あなたも私も、すべての信じるものへの命令です。

だとしたら、あなたのこの地での主のための働きを測る基準として、そのレポートで報告をするとしたら、その報告書にはこのような質問が適当ではないでしょうか?

あなたは、何人の弟子を作りましたか?

また、何人の弟子を今も育てていますか?

その弟子は、次なる新しい弟子を作っていますか?

その弟子達は、イエスが教えられたことを守っていますか?

あなたを弟子として、教えてくれている人は誰ですか?

では、弟子を作る、ということについて、実際に見ていきましょう。

実際に弟子づくりといっても、一体何人の弟子を作ることができるでしょうか?30人?100人???イエス様は、3年の年月の間に12人の弟子を育てられました。

どれくらいの頻度で?どうやって?

これもイエス様の模範を見て見ますと、イエス様はその12人の弟子達と毎日、一緒に時を過ごされました。毎日、一緒に生活し、同じ釜の飯を食べ、教えを説かれ、祈り方を教えたり、奇跡の御業を目の前で模範を示されたり。

ご自分の名にある権威を授け、村々へ二人ずつお遣わしになって、その後、様子を見に行かれたり。

悪霊を追い出したり、死人をよみがえらせたり、病気を癒されたり。

イエス様でも、あの12人の弟子を育てるのに、毎日、24時間、3年間を要されました。

なんと、そのうち一人は、失敗に終わっていますね。

忙しい毎日、仕事も家庭も、学業も、、、いろんな責任を負っている私たちが、今のシーズンに、神様から弟子として教え、育てなさい、と託されている人たちは、そんなに多くはないはずです。でも逆に、週に1回、2時間だけ立ち話で会話を交わし、数分、祈りを交わすだけでは、全く十分でないかもしれません。

たまに、思い出した時に電話して、「ああ、分かりました。また、祈っときますね!」では、弟子として育ちません。

一方的に、教えたいことだけをシェアして、その経過を共に歩まない限り、彼らがあなたの教えたことを実行しているかどうか、分かりません。

また、週一度の礼拝で、顔を合わせて、挨拶し、たまたまた横に座ったので話を聞いたら、すごい大変なところを通ってた人に、10分お祈りをしてあげる。これも素晴らしいことですが、それだけで、その人の弟子としての歩みを訓練はできませんね。

弟子訓練と一言で言いますが、つまり、あなたの人生をある人たちと分かち合う中で、その実践が行われていくと信じます。

箴言 27:17 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

人は一度に、沢山の友を持つ必要はありません。

と言うか、本当に友と呼べる人は、そんなに大勢いないはずです。

心を開いて、自分の弱さを見せ、罪の葛藤があれば、それを正直に悔い改めるのに、何十人もの人とそれをやらなくてもいいです。

でも、本当の友なら、あなたの人生に必要な真理を、愛を持って伝えてくれるはずです。それは、時々痛みを伴います。

箴言27:6 憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。

私自身、25年間の信仰生活の中で、一番自分の成長を支えてくれたのは、そういった友との関係の中で得た、愛ある叱責や、本当に必要な時に与えられたサポート、自分には足りないものを補い、自分には見えない角度から同じものを見て、意見をくれる友、神の家族の存在でした。

でも、そういった信頼関係、互いを支え合う相互関係を作るために、多くの犠牲も払ってきました。

「なんで、こんなに自分とは性格の合わない、考え方の違う人を、主は私の人生に与えられるのだろう?」と思ったことも何度もありました。

「適当な距離を置いて、もう、会わないでいよう」と思った人もいました。

「この人だけは、絶対に赦せない!」と思った人もいました。

心当たりのないことで誤解され、信頼した人に裏切られたこともありました。

昼夜問わず、緊急の連絡が来て、救出に駆けつけた事態もありました。

シェルターになって、かくまい、一緒に生活を共にした人もいました。

自傷行為を繰り返す人を、何度も救急車で搬送しました。

ただただ、一緒に寝食を共にして、時間を過ごしました。

何時間も祈って、解放のお手伝いをしました。

毎月、経済的な重荷を、代わりに負い合いました。

リストはいくらでも続けれますが、その中で、主の超自然的な介入を体験し、本当の意味で、共に、研がれあって来た結果、私が払って来た犠牲以上に、私のために犠牲を払ってくれる友を主が与えてくださいました。

彼らは、私にとって、掛け替えのない存在です。

本当の、神の家族です!

真の弟子訓練の現場です!

弟子を作るって?何年もクリスチャンをしている先輩方なら分かりますが、私は救われてまだ数ヶ月です!

まだまだ、私が弟子です!!!と言われる方もられるかもしれません。

もちろんそうです!何年クリスチャンをしていても、まだまだ成長が必要!変革が必要!教えられることがまだまだあります!

私たちは、一生弟子であり続けます。

でも、同時に、救われてすぐのあなたにも、あなただから分け与えることのできる神様からの遺産が託されています!

あなたの言うことだから、耳を傾ける、まだ、救われていない友がいるはずです。

あなたがするから、その行いに、神様の光を見ることができる人が、周りにいるのです。

弟子づくりというものを難しいものだと勘違いしないでください。

資格や経験がないとできないものだ、と誤解しないでください。

私たちの集まりでは、信じる人、弟子達みんなに、あなたの弟子づくりは、あなたが新しく出会った人と、その瞬間から始まっていますよ!と教えています。

みなさんが、イエスを救い主として信じ、聖霊に満たされて生きる弟子であるなら、みなさんの生き方の中に、御国の味わいはすでに表されていっているはずです。

みんな、聖化される過程を歩んでいますが、まだまだ成長している最中ですが、みなさんの言葉遣い、振る舞い、考え方や、人間関係、子供に対してどんな受け答えをしているか、ご主人や奥さんをどのように敬っているか、問題に直面した時に、どうやって神を信頼しているか、祈っているか、人間関係で誤解されても、なぜ裁かずに赦しているのか、、、

などなど、私たちがイエス様に聞き従い、もっともっと主のような姿に変えられていく過程で、人々は、私たちの中にある御国の現実をすでに救いを受け入れる前から、味わっています。

「この人は、何かが違う?この人といると、なぜか平安がある」などと、言われたことがないですか?

天の国の大使として、この地上に遣わされている私たちです。この世のあり方と違うのは当然です。

そしてもちろん、心を開いてくださる方には、手を置いて祈ったり、知識の言葉で祈ることもできるかもしれません。

その中で、人々は、神が生きて働かれていることを否応なしに体験していくでしょう。

彼らの中に、超自然的なものに対する飢え渇き、神を知りたいという思いが湧き上がってくるでしょう。

みなさん、ぜひ、宿題をしてみてください。

みなさんの、救われた時の証を、簡単な言葉で、3分ほどの短い時間でシェアできるよう、準備しておいてください。

未信者の方々が馴染みのないような、クリスチャン用語や祈りの言葉を使わないよう、心がけてみてください。

イエスのあかしは預言の霊です。黙示録19:10

証しほど、力強いことはありません。実際にあなたの身に起こったことです。誰も、それを否定することはできません。

また、その方にも、神が同じことをしてくださる!という預言となります。

そこまでくれば、弟子づくりも少し軌道に乗り始めたといえるでしょうか?

実際に、聖書を一緒に読む時間を持ったり、神様のことについて、話をする機会が増えていくことでしょう。

聖霊の声に耳を傾けることも勧めましょう。

救いの確信が得られ、バプテスマを受ける決心ができるように、彼らを教え、導きましょう。

でも、このステージにおいても、みなさん、不必要なプレッシャーは要りません!

みなさんが、神様とこの方達の間に入って、彼らを教える必要はありません!

ベテル教会のビル・ジョンソン師がよく言われることですが、「神の御国に、孫はいません。みんな、子供です!」

そうです。彼らが神に作られた子供として、一人、一人が神様と直接繋がり、聖霊様によって、御言葉を聞き、それに従って歩むことができるよう、私達はそばにいて、その歩みを支え、応援し、祈り、共に歩むのです。一緒に生きるのです!

数人の、本当に心から自分自身をシェアできる親密な関係を築いてください。信頼関係が深まれば深まるほど、人は、誰にも話したことのない過去の傷や、現在の罪についても、話してくれるかもしれません。

そして、その関係の中で、私たちもたとえ、信仰の先輩であっても、へりくだり、自分の弱さや葛藤をシェアしましょう。

それが何よりも、居合す人たちに「安心できる場所」を提供する鍵です。

ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

これも、日頃あまり顔を合わせないような人、また、大勢が居合わせるような環境では、なかなか心を開くことができませんね。

でも、親密な弟子の小さな集まりの中では、それも、主が促される通りに、自然となされていくはずです。

お互いの過去の傷からの癒しや、解放のために、祈り合うツールとして、SOZOツールなど、様々な役に立つツールがあります。そういったものを学んで、身に付けることも、弟子つくりの関係の中で必要不可欠になっていくはずです。

SOZOミニストリーについても、簡単な証があります。

私たちが、このツールを知り、学んで、実践し始めた頃、ちょうど、私たちの教会では、弟子づくりにフォーカスをし始めて、このシリーズでもシェアして来たように、コミュニティーで生きる中で、小さな家の集まりを中心に、子育てや家族関係、ミニストリー、様々なことを共有していました。お互いの距離が縮まると、自ずと、いろいろな問題が起こり始めました。ある程度の距離ではわからなかったことが、その近い関係の中では、浮き彫りになりました。私たちの人生で問題となることの多くは、その根っこが、もっと深いところにあることが多いです。幼い時に受けた傷によって、今の応答が出来上がっていたり、ずっと信じて来た敵の嘘が、今の現実を図るものさしになっていたり。そのような深いところにある根を引き抜くために必要だったのが、まさに、 SOZOツールでした。

教わってすぐは、マニュアルを見ながら、とにかく、互いのために、ツールを使って祈り合いました。何時間もかけながら、互いの過去の痛みをシェアしあったり、蓋を閉めて見ないふりをして来た罪を悔い改めたりし合いました。とても効果的であり、弟子訓練には欠かせない解放のツールです。

このようなものを有効活用し、聖霊にあって、ますます私たちが新しくされる過程を通らずに、弟子訓練は語れません。

SOZOミニストリーと、詳しいツールについては、日本語で基本の学びをまとめています。オンファイヤーのHPにて購入できますので、また、参考にしてみてください。実際に、セッションを受けたい、またトレーニング受けたいと言う方のご要望にもお答えしています。詳しくは、HPSOZOミニストリーのページより、ご連絡ください。

以上、弟子訓練について、私なりの体験を踏まえてその重要性をシェアしました。

何より、もう一度言いますが、イエス様がすべての信じるものに最後に託された命令です。

そしてその命令を私たちが遂行していけるように、世の終わりまでイエス様ご自身がともにいてくださると約束してくださっています。

皆さんも、今おかれている状況の中で、今、関わりを持って人生を分かち合う人を主に尋ねつつ、ますます、弟子訓練を実践していってください。