教会・エクレシアを定義する前には、御国を考えましょう。
聖書の御国のたとえ話が多くあります。
御国は、
- 家族、私たちは子供、神様がそのお父さん、互いに兄弟姉妹です。(1ヨハネ 3、マタイ 23:8-10)
- 教会は、体、イエス様がそのかしら、私たちはそれぞれの器官です。(1コリント 12:27、ローマ 12:5)
- 花嫁、イエス様がその花婿(ヨハネ 3:29)
- ぶどうの木、父なる神様がその農夫、イエス様がその木、私たちが枝、(ヨハネ 15)
- 羊の群れ、イエス様がその羊飼い (ヨハネ 10)
全てが生きている、命あふれるものですね。建物も書いてありますが、その建物は、生ける石でできています。(1ペテロ 2:5)
皆さん、エクレシアはまず、生きてる家族です。
そして神様はお父さん、かしら、花婿、農夫、羊飼い。
お父さんのいない子供は、孤児、
かしらのない体は、死体
花婿のいない花嫁は、未亡人
ぶどうの木につないでいない枝は、焚き木
羊飼いのいない羊は、迷子、
エクレシアとして、第一の役割は、
やることではなく、
留まることです!
つまり、神様のために、沢山働くのではなく、真理に、自分のアイデンティティに留まることですね。
神の子供として、
兄弟姉妹として、
花嫁として、
羊として、
ぶどうの木の枝として、
頭と繋がっていれば、そこにとどまることによって体全体に命が流れていきます。
関係ですね。
神様との関係だけではなく、互いとの関係です。
少し難しい御言葉を見ましょう:
ヨハネ 17:21 「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
ローマ 12:5「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」
リビングバイブルでは:
「私たちは互いに依存し合っており、だれもが、ほかのすべての人を必要としているのです。」
互いに必要としている。
英語の直訳は、互いに所有して、互いに属しています。
また、人との関係は、神様との関係から引き離すことはできません!一つです。
ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
1ヨハネ 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。ローマ 13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
皆さんも考えて欲しいことがあります:
例えば、今週教会の集まり、集会場所や建物も突然なくなったら、あなたには、どんな、誰との関係が残りますか?
これこそ、あなたのエクレシア・教会ですね。
今から、少し時間を取り、具体的なことをしましょう:
どうぞ、あなたの信仰の家族を定義して見てください。紙に名前を書いてください。
聖霊様の導きによって、あなたとその人との関係を考えてください。
少し時間をとって、この質問を一つ一つ聖霊様と一緒に考えてください:(私もします!)
- 愛し合う、助け合う、支え合う関係、話し合う、祈り合う、励ましあう関係ですか?信頼し合う、教え合う、そして遣わし合う関係?その人は誰ですか?
- 愛し合う関係を育むことを邪魔することはありますか?何ですか?
- 赦すべき兄弟姉妹がいますか?
- 赦しを求めるべき兄弟姉妹がいますか?
- なんでもかんでも話せる相手はいますか?また、愛を持って何でもかんでも、ストレートに話してくれる兄弟姉妹はいますか?
- もっとこういう愛し合う関係を作るためには、どうすればいいですか?
- あなたの共同体を外から見る人は、何よりも「互いに愛がある」と認めますか?
私も、心を探っていますので、皆さんもどうぞ、聖霊さまと一緒に考えて祈ってください。
また、行動してください。
最後に、1コリント13章からの有名な箇所:
「愛は絶えることがありません。」
つまり、愛以外のものは、全て耐えます。