今までの、数回のビデオの中で、色々な難しい質問をして来ました。
あなたのエクレシア、信仰の共同体は、本当に愛と信仰のあふれる場所ですか?
私たちも、皆さんも、再確認のチャンスが必要です。
その中で、愛と信仰の場所が余りないと気づいた人、心配しないでください。
今からです!
このシリーズは、まず、この大事な土台を見ながら、確認しながら、実際にこの土台を築いていくツールも紹介します。
でもその順番が大事です。
まず、土台ですね。土台がしっかりしていなかったら、どんなに素晴らしい建物を建てても、嵐が来ると崩れてしまいます!
覚えてください。これは、一人一人の信仰についてではなく、エクレシアとなる共同体をどのように築いていくかです。
パウロが教えたことですね:
1 コリント 3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
では、続けてこの土台の一番大事な岩、石を定義しましょう。
ローマ 5:1「いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」
神の栄光を望んで、希望を置くこと;これは、いつか将来に、天国に行く時のことだけではなく、今、自分の人生の中に神様の栄光が現れる希望ですよ。
エクレシアは、希望、望みのあふれる場所であるはずです。
具体的に言いますと、
愛し合う家族によって、集まる一人一人は、ありのままで受け入れられる。
でも、そのままでいられない、必ず変わる、成長する、解放される、自由になる信仰がある。
愛と信仰を結びつけるのは、この希望です。
神様の栄光が現れる希望です。
エクレシアの信念として、大事ですね、愛と信仰のバランス。
そのためには、まず、希望のあふれる安全な場所が必要です。
箴言 18:10「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」
主の御名は、安全です!主の家族、エクレシアはそれを反映して、安全な場所であるはずですね。
私たちのエクレシア、教会の集まりは希望と恵みにあふれる安全な場所ですか?
責められない、
拒絶されるない、
裁かれるない、安全な場所。
愛と信仰によって、解放への道を一緒に探る仲間ですか?
どんなことがあっても、一緒に歩む。
姦淫の場で捕らえられた女に、イエス様が愛を持って言われました:
「わたしもあなたを罪に定めない。」(ヨハネ 8:11)
と同時に、信仰を持って、「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われるイエス様。
愛は拒絶できない。
信仰はほっとけない。
希望は人に悔い改める、変わって行くチャンスを与えます。
多くの場合、私たちは、極端のどちらかに走ってしまいます。
愛がある場所。
愛はあるけど、何でもかんでも受け入れて、その人が自由になる、解放される信仰がない。
一時的には、その相手に優しくしているように見えますが、実は、希望を与えません。
そのため、多くの人は、囚われたままで、共同体に留まります。何年、何十年も、同じ問題を持ったまま、変わりません。
その一方、相手が変わる条件を先に、共同体に受け入れる前に付けてしまいます。
つまり、イエス様の愛の啓示を受ける前に、まず、変わらなければなりません。そんな罪深い状態で、私たちの仲間には入れません。外見的な変化を愛の条件として求めます。条件付きの愛には、希望はありません。
多くの宗教は、このように決まっている掟、しきたりに従うことによって、人を外から制すること、また制されることを強調しています。
外見的な習慣、生活のパターン、行動を変えれば、中も変わっていく、と思ってしまいます。
もちろん、結果的に生活のパターン、行動も変わることもありますが、心が変わらないままだと、罪の心に留まり、希望がなくなります。本音を出すことを恐れます。拒絶される恐れがあるから、弱さと失敗を隠します。
共同体の全体の調和を守る方が、一人一人の解放より大事です。
何でもかんでも受け入れられる愛の環境も、安全ではありません。
一時的に安心するかもしれないが、実際に罪の束縛から開放される希望はないからです。
仲間が罪や病の泥沼に溺れているのに、「大丈夫ですよ!、そのままで受け入れますよ!」
実は、それは、本当の愛ではありませんね。
エクレシア、教会の健康的な共同体は来る一人一人を無条件的な愛で愛し、
信仰によって神様の力を紹介して、
そして、その力、解放と救いを実際に経験するまで一緒に歩む希望を与える家族です。
もちろん、ある人は、その長期的なプロセスを拒み、離れてしまいます。
それは、それでいいです。人は皆、自由意志を持っています。選択するのは彼らです。
でも、私たちの役割は、この場所、この共同体を本当に愛、信仰と希望のあふれる場所として提供することですね。
今日も、少し難しい質問を考えましょうか?
聖霊様と一緒に考えて祈りましょう:
- 人は、あなたと一緒にいる時、安全に自分の罪、弱さ、失敗などを告白して、話し合い、祈りあえますか?
- 個人的な話を聞いたら、あなたは秘密厳守を守り、信頼できる人ですか?
- あなたは、人の失敗や罪を通してではなく、神様の目を通してみて、人を見ますか?
- 過去の失敗を掘り出して、武器として人の失敗を批判したりすることはありませんか?
- 神様のように、あなたは人を速やかに赦し、もう一度チャンスを与えますか?
- 長期的に人が解放され、成長するように、一緒に歩むコミットができますか?
- 人がオープンに話してくれるのと同じように、あなたは、自分のことをオープンに話しますか?特に、リーダーの皆さん!
男性には、特別の質問:
- あなたは、性的な罪を告白する相手、祈り合う関係がありますか?
皆さん、続けて、エクレシアの土台を確認していきましょう。
この世は、私たちがちが持っている、イエス様の愛、信仰、希望を求めています。